講演録

命を育む経済社会を目指して

〜「生きる、くらしを守る、人間らしく」を確かにする「中小企業憲章」〜

中小企業家同友会全国協議会 会長 赤石 義博

 私にとって、環境問題では今日が初めての講演となり、とても緊張しています。

 3回目の環境問題交流会で私にお話しせよ、ということは、同友会として環境問題をどうとらえ、同友会運動にこの環境問題をどう位置づけていくのか、ということを問題提起しておけ、ということだろうと思います。

 このお話しがあったのは1年ほど前のことですが、それから本屋さんで環境問題のコーナーに立ってみたところ、数百冊の出版物がありました。それだけ重要な課題として関心が持たれている、ということだと思いますが、そのうちからやっと十数冊を読んだ程度です。勉強すればするほど、これはたいへんな課題だということがよくわかります。

環境問題の二つの大きな原因

 まず、環境問題を生みだしている原因は何かということを整理しておく必要があります。

 一つは、人間が生きる、という営みそのものが生みだしているということです。

 「自然所得」とか「自然資本」という考え方がありますが、これは、ほぼオーソライズされているエコロジカル・フットプリントとか、生態経済学による考え方です。自然が自然の循環で生み出すプラスアルファーを「自然所得」と考えますと、人間が採集生活を送っているとき、自然所得だけで暮らしを成り立たせており、その間は、環境問題は起きなかった。しかし、自然所得を超えて消費するようになった、ほぼ一万年ほど前から環境問題は起こっている、ということです。

 もう一つは、工業化の問題です。十八世紀に入って、イギリスで産業革命が起こり、工業化が環境問題のもう一つの原因を作った。さらに、この二十数年間のことですが、いわゆる新自由主義、ネオリベラリズムによる競争至上主義が、工業化による環境問題を破壊的に進めている、という問題があります。

 この二つの問題が、環境問題を起こしている根本的な原因であるということをまずとらえておかなければ、われわれがどう環境問題取り組んでいくか、ということが明確になっていきません。

前提として、絶対必要な主体者としての視点

 もう一つ注意しておかなければならないことは、よく、物事は客観的にみなければならないといわれますが、こと環境問題についていえば、その問題の中心に自分を置いて、主体者として周り(問題)を見るという視点が絶対的に重要だ、ということです。

 なぜなら、いつものように客観的に見ようとすると、それはしばしば、そのうち何とかなるだろうといった、客観的=消極的、傍観的立場に変化してしまう危険があるからです。

意識改革を進め、病根の根治こそ

 そうした前提に立って、まず今日お話ししたいことの結論的なことから申し上げていきたいと思います。

 一つは、症状の緩和、症状の治癒に関する研究はかなり進んできていますが、病根の治癒に関する取り組みはほとんど進んでいないということです。ちょうど、穴のあいたバケツから水が漏っているのに、ぞうきんの縫い方や水の拭き方はどんどん進んでいても、バケツの穴をふさぐ取り組みはほとんど進んでいない、ということです。これからわれわれが取り組まなければならないことは、症状の緩和はもちろん、抜本的な病根の根治に向けた取り組みが必要だ、ということです。

 もう一つは、病根の根治に実際に効き目のある制度と、それを積極的に推進する行政の確立が絶対的な課題だということです。これができなければ、永遠に問題が解決されないばかりか、人類の未来にも永遠はない、ということと表裏一体である、ということを切実に思わなければなりません。

 では、病根根治に実効ある制度と、それを積極的に推進する行政の確立には何が必要か。それは、われわれが、地球市民という形で意識改革を進め、維持できる経済社会の実現が人類にとって究極の価値なんだ、という価値観を作り出していくこと。それがなければ、実効ある制度とそれを積極的に推進する行政はできません。

 そして、その価値観を持つためには、まず「事実を知る」ことから始めざるを得ません。

「事実を知る」こと

 「事実を知る」ということには、二つの意味があります。一つは、悪化の事実を知ることです。たとえば、一九九三年に、日本では輸入農産品に関する残留農薬の規格が、五十倍から八十倍までゆるめられました。それが学校給食に現実に使われている、という事実です。こういう事実を上げていったら、残念ながらきりなく紹介することができます。

 もう一つは、症状の緩和の研究は進んでいても、病根根治に関する取り組みは進んでいない、という事実です。

 なぜ病根の根治に手が届いていないのかについては、あとで触れますが、ジェームス・グスタフ氏の『地球環境危機を前に市民は何をすべきか』によると、「アメリカが積極的に関与したからできた唯一のことは、オゾン層の破壊をどうくい止めていくか、ということだけでした。それ以降は、アメリカは徹底して効果が上がらない、結果がでないという立場からしか参加していないから、その後はいっさい実効が上がっていない」というのです。このことも一つ頭に置いておいていただきたいと思います。

維持可能な経済は維持可能な消費と表裏一体

 意識改革をしていくとき、「事実を知る」ことと同時に、維持可能な経済は、維持可能な消費の範囲でとどめなければならないということと表裏一体だ、ということも学んでおかなければなりません。

 そして消費を考えるとき、実は「作り出されたニーズ」があることを自覚しなければなりません。

 私は、今から50年前の1955年、アメリカから入ってきたマーケティングリサーチという考え方を知り、その手法を広告に世界に持ち込んで仕事をしたことがあります。例えば、日焼け止めクリームの売り出し日に、三越の入り口に立って、どんな人が並んで待って、どんな人たちがこのクリームを買いに集まるか、ということを調査したことがあります。当時は、こうしたマーケティングリサーチと環境問題がつながるとは考えてはいませんでしたが、この20年間に、世界の広告宣伝費は2倍になっています。人口の増加の3倍の速度で伸びているのです。作られたニーズであり、実際のニーズとは違うのです。

 現在、世界に急速に広がっている考え方に、「自然資本」という考え方があります。グローバル・フットプリント・ネットワークの代表で、エコロジカル・フットプリント計算の標準化と世界への普及を目指しているマティース・ワケナゲル(Math’s  Wackernagel)の定義によると、「自然資本とは将来にわたって有益な財と価値あるサービスのフローを生み出してくれるあらゆる種類の自然ストックのこと」と言っており、平たく言えば、水源を維持できる森林の面積とか、種を死滅に追い込まない魚群量などということです。

 もし今のままでいったら、作られたニーズにより、その自然資本が生み出す自然所得の範囲内で暮らすべきものが、自然所得を食いつぶし、自然資本の中にまでどんどん食い込んでいくことになる。つまり赤字、ということですね。

すでに20%の赤字〜「エコロジカル・フットプリント」

 地球環境悪化の現状がどこまで来ているか、ということを数字で表すものとして「エコロジカル・フットプリント」という考え方があります。これは、「世界が必要とする資源(穀物・資料・木材・魚・及び都市部の土地)を提供し、二酸化炭素の排出を吸収するために必要な土地の面積」を計算する手法を確立したものです。世界自然基金(WWF)では、この手法を取り入れ、150カ国以上のエコロジカル・フットプリントを計算しています。この計算によりますと、地球全体で見ますと、現状で「自然所得」に対し、マイナス20%、つまりすでに自然資本に食い込んでいるのです。

自然所得の範囲を超えて消費すると

 では、自然所得の範囲を超えて消費するとどうなるか。ニシンやハタハタなどは自然所得をあまりにも大きく超えて漁獲し、種を絶滅に近いほど追い込んだ例であり、さらに単純にその不足分を養殖で補うとどうなるのか、ということですが、例えば「シャケ(鮭)」の話をしたいと思います。

 鮭は世界で年間200万トンくらい消費されていますが、そのうち100万トンは、卵を孵卵場で孵したあと、川に戻し、海を回遊して戻ってきたものです。これは、自然所得の範囲内ということになりましょう。残りの100万トンくらいは、ノルウェーが一番進んでいますが、ネットで養殖をしています。この養殖は、ほとんど回遊してくる鮭と同じ海域にそってネットで飼われているそうです。ネットで飼っていますから、脂ものっていて、見た目はたいへんおいしそうなのです。安くて、しかもおいしそうですから、皆さんそれを買われるわけです。

 しかし、養殖では、抗生物質などを混ぜたエサが与えられますが、実際に摂取されるのは40%位だそうです。残りの60%はネットを通して海底を汚していく。同時に抗生物質を与えていますから、耐性菌ができる。悪いことに、天然鮭が回遊してくると、養殖の鮭についている耐性菌が天然鮭に感染してしまう。結局、天然資源をダメにしていくし、海洋も汚染されていくわけです。

 それなのに、日本では、せっかく鮭の孵卵事業を進めて戻ってくるようになった天然鮭を20万トン輸出し、環境汚染の原因を作っている養殖の鮭を20万トン輸入しているのです。高効率を求める大資本による養殖や栽培などには、単純にOKできない問題が含まれているのです。遺伝子組み換え農産物の栽培もそれに入ります。

 また、いま原油が1バレル70ドルを超えそうだ、ということですが、原油を掘って適正な利益を得るための販売価格は1バレル35ドルだということにしたとします。しかし、残された原油の量、在庫資産の量から見て、これを食いつぶしたあと、近未来の世界で同じようなニーズにこたえるためには、代替物質・代替資産を作っていかなければならない。そういったものを開発するための費用と環境保全費用として、あと35ドル必要だ、だから合計で70ドルだ、ということなら良いわけです。ところが、実は、ものすごい投機のカネがそこにぶち込まれており、投機しているものにとっては笑いが止まらない、のが現状です。

 こういう事実を知り、維持できる経済の確立のためには、維持できる消費が絶対必要だ、という意識改革をぜひしていかなければならないと思います。

豊かさの追究が、豊かさを追究できない原因を作り出している

 「維持可能な経済」が人類にとって最大な価値なのだ、という価値観をどう作り出すか。皆さんは、たいへんな文化生活を営んでいますが、「文化生活」ではなく、維持できる経済社会を確立することに最大の価値があるという「生活文化」を作っていかなければならない、という意識改革が必要なのです。

 さて、それができるでしょうか。まだまだ、皆さん自身も「何言ってるんだ」と思っている方が多いのではないでしょうか。

 アインシュタインが、「問題を解決するには、問題の原因となっている考え方を打破しなければならない」と言っています。大企業の社長さんたちが集まっている環境問題での世界会議がありますが、そこででている基本的な考え方は何かといえば、それは新自由主義にもとづく考え方で、「環境問題は取り組まなければならない。しかし、より良い暮らしを求めるなら、その経済と調和することを考えなければならない」というものです。これではバケツの水はこぼれ続けるわけです。

 一刻も猶予はならないところまで現実は来ているのに、経済の基本をそこにおいている。それでは病根の根治はできませんし、生きることを否定される状況にまで追い込まれてしまうということです。

 すでに自然所得を20%も超えて自然資本に食い込んでいるということは、豊かさを追究すること自体が、豊かさを追究できない原因を作っているということなのです。このことを分かっていただかなければなりません。

維持可能な社会の確立は同友会の基本理念実現の土台

 では、このような維持できる経済の確立に取り組むことが、同友会がこれから向かうべき課題であるのかということについて、お話ししたいと思います。

 同友会は「自主・民主・連帯」という基本理念を掲げていますが、この「自主・民主・連帯」の深いところにあるものは何かといいますと、まず「民主」の深いところにあるのは、「生命の尊厳性の尊重」ということです。人間一人ひとりの命に重い、軽いはない、すべての人間の命の重さは平等である、ということから平等な人間観という考え方が生まれ、そこから一人一票という民主主義が生まれたのです。つまり、これは生命の尊厳性の尊重であり、「生きる」を確かにするということなのです。

 また「連帯」の深いところにあるのは、人間的な信頼関係に立って、あてにし、あてにされる「群れ」の形成ということが、人類社会を今日まで発展させてきているわけです。この「群れ」の原則がなければ、現代の人類社会はなかった。これは社会性の尊重ということであり、「くらしを守る」ということです。

 そして「自主」の深いところにあるのは、一人ひとりの人間は、かけがえのない人生を持っているかけがえのない存在であるということです。これは個人としての尊厳性の尊重であり、自立した一人の人間として尊重されるということであり、突き詰めれば「人間らしく生きる」ということになります。

 従って、すべての人間が「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」の3つを極限まで実現に向かって取り組んでいくことが、同友会運動の基本にあるわけです。だからこそ、「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」の営みの基盤をどう確かなものにしていくかが、中小企業憲章の実現ということまでつながってきているのです。同時に、その営みの土台になるものを守らなければならない。それが地球環境の維持・保全ということなのです。その土台をどう守るかということが、同友会が環境問題に100%取り組まなければならないという理由であり、維持可能な社会にするために病根を完全に排除する制度の確立まで取り組んでいかなければならない、という根拠になっているということです。

求められるべき『命を育む経済社会』とは

 そこで、お手元のレジュメに、「求められるべき『命を育む経済社会』とは」ということで、次のようなことを書きました。

@自然の自己能力及び再生能力の限界を越えない人間活動(経済・開発など
  *自然の生物・水・空気(酸素)の生産能力が維持されていること
  *動植物を絶滅に追込まない配慮や制約
  *自然の自浄能力や再生能力の維持
A重大な自然変化を生み出す人為的行為の抑制
  *オゾン層の回復維持
  *大気汚染と地球温暖化の抑止と低下課題
  *超大規模開発の抑止
  *安全が確認されるまで遺伝子操作の停止
B自然消滅しない人工化合物の製造禁止と強力なフオロー管理
C貧困の絶滅・女性の地位の向上と安定した平和の実現
D教育全般の普及と、特に「いのちと自然」を慈しむ教育の促進

 もちろんまだまだあるわけですが、これを裏返してみると、これらの問題が現在どうなっているのか、という事実を知る、そういうことが重要な課題だということです。

病根の根治がなぜ進まないか

 もっとも憂慮される病根については、先ほど紹介したジェームス・グスタフ・スペスの書いた『地球環境危機を前に市民は何をすべきか』をぜひ読んでいただきたいと思います。

 グスタフ氏は、1977年にカーター米大統領環境問題諮問委員会委員となって、79年には同委員長に、1993年には国連開発計画(UNDP)の総裁を6年間務めた人です。つまりアメリカや国連で環境政策を推進するトップにいた方が、「なぜ病根の根治が進まないか」ということについて、書いているのです。

 まず、日本語版の発刊を熱望させたのはなぜかということで、「日本は、米国との関係を逆転させて、『外圧を』米国にかける時期が来ているということです」と書いているのです。

 この言葉の意味をよく考えてみたいと思います。

 さらに、「現在の環境を守るための国際的な取り組のシステムは全く機能していないのである。システムは機能しないように設計されており、統計は地球環境の悪化を示し続けている。新しい設計が必要であり、その実現のためには、市民社会(Civil Society)が主役にならなければならない」と。

 先ほど意識改革ということを言いましたが、すべてこの辺につながるもので、裏付けを得て申し上げているわけです。しかも、「地球環境の保護に関して、成層圏における地球のオゾン防壁の保護と回復という一つの成功があった。米国は、この取り組みを素晴らしい形で主導した。しかしそれ以降、米国は提案された殆ど全ての国際環境条約に関して非常に誤った対応をしてきている。今日までの取り組みに対して米国の積極的なリーダーシップが発揮されないこと自体が、実質的な成果につながらない理由となっている」とまで言っています。この病根を根絶していかなければなりません。

 また、先ほど申し上げた日本の輸入農産物に対する残留農薬の基準が、それまでの基準の50倍、80倍までの濃度になぜ緩められたか、です。きわめてはっきりしていることは、ウルグアイラウンドの取り決めによるという口実ですが、実際にはアメリカの世界最大の穀物メジャーの副会長がアメリカ政府を動かして、ウルグアイラウンドに持ち込ませ、それを日本政府が認めざるを得ないということに追い込まれて認めた、ということです。これは明確な事実として指摘されています。

 ではなぜそういうことができたのかといえば、病根を作り出している競争の当事者自体がアメリカ政府を動かしているわけですから、病根の根治ができるわけがないですね。こういった具体的な例はいくらでも上げられます。そこに取り組まない限りは、われわれのやっていることは、単に症状の緩和にしか過ぎないということです。

中小企業こそ病根を根治できる

 つまり、産業革命以降の工業化の進展と、それをたいへんな速度で悪化を加速させている新自由主義をぴしっと止める制度の確立がなんとしても必要だということです。ぜひこのことは絶対つかんでください。そしてそれをやれるのは中小企業しかないのです。

 競争の当事者である多国籍企業は、当事者である以上、調停者や審判者になれるわけがないのです。そうした競争を抑えられるのは、その場に関与していない人間にしかできません。そして、「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」という営み自体を確かなことにする中小企業憲章の実現に取り組むわれわれなら、その営みを確かなものにする土台をどう守るかという環境問題にも取り組むことが可能だ、ということになるわけです。

 1992年にブラジルで地球サミットが開かれたあと、やはり「地球憲章」が必要だ、という動きとなり、94年にはゴルバチョフ・ソ連元大統領と地球サミットで事務総長を務めたモーリス・ストロング氏を中心に原案作成のスタートが切られました。その後、世界各地から集まった人たちによる地球憲章起草委員会での検討を経て、2000年3月に最終案ができ、2000年6月にオランダの女王臨席の下に、地球憲章が発表されました。これについても、ぜひ学習していただきたいと思います。しかも、今私たちが取り組んでいる中小企業憲章をどう具体的なものにしていくかにおいても、非常に参考になります。

人間の営みそのものが引き起こす環境問題への対応

 最後に、人口問題と貧困と女性の問題について触れたいと思います。

 環境問題の原因として二つあると冒頭に申し上げましたが、工業化の進展についてはこれまで縷々述べてきましたが、もう一つの、人間の存在そのもの、人間の営みそのものが生み出している環境問題は、どうやって止めていくのか、ということです。

 20世紀に入って、例えば日本人がどのように人口が変化してきたか、ということですが、1868年明治元年の時は、3200万人でした。それが大正元年には5000万人まで増加し、現在は1億2000万人を超している。地球全体では、この1世紀の間に人口は4倍になっています。同時に、世界全体の一人あたり平均消費量は5倍に増えています。ということは、20世紀の1世紀間で5×4で20倍の新たな負荷を地球にかけたことになります。ですから、5倍になった豊かさを、生活文化の意識改革を進めて変えていくにしても、人口の増加もどこかで止めていかなければなりません。

人口問題解決には貧困問題の解決と女性の地位向上が不可欠

 人口がなぜ増えるのか、ということはほぼ分かってきています。貧乏なところほど、人口増加のスピードが速いのです。例えば、アフリカのサブサハラでは、人口の増加率が非常に高い。それはなぜかというと、女性に妊娠・出産の決定権がない、とにかく生まされるのです。しかも、サブサハラの女性が出産するときの生死にかかわるリスクは、スウェーデンの女性の妊娠・出産のリスクに比べ400倍高いということです。そんなリスクが高いことを、もし女性に決定権があったら選択するわけがない、ということなのです。実際、女性の地位が向上して、決定権がでてくると、人口の増加率が大幅に減ってくるということは、国連の活動の中で具体的に実証されています。

 しかし、中絶のための資金援助を、アメリカはカーター大統領の下ではやりましたが、レーガンになったら、全部止めた。クリントンになって復活させたのですが、今のブッシュになったときは、就任1カ月以内で全部止めた。それは彼の宗教です。このグスタフさんによれば、アメリカの国内政治問題をそうした世界的な環境問題にまで影響を与えてしまっていると批判しています。

 また、貧しいことから、子どもも重要な働き手となっているので、子どもを増やさざるを得ない。日銭を稼いだり、食べ物や草をとったりすることが、そこに住んでいる彼らにとって見れば、生きるための切実な問題なのです。

新自由主義による格差拡大がもたらすもの

 さらに、富める国アメリカですが、ハリケーン被害にあったフロリダで起きていることは、アメリカがこれまで進めてきた新自由主義がもたらしたものを浮き彫りにしたと思いませんか。

 アメリカの貧困層は、親子四人家族で年間所得が1万9157ドル、日本円で言えば210万円くらいです。これ以下の層をアメリカでは貧困層と呼んでいますが、この層がアメリカ全体では12・7%ですが、フロリダでは75%近いのです。車の普及率は、アメリカ全体では二人に一台くらい普及していますが、フロリダでは34%しかない。豊かさを求めているアメリカの実態がこのハリケーン被害でむき出しにしてしまったわけです。

 グスタフさんが一生懸命言っていることは、大病院ばかり作るという過ちをおかさないでほしい。それより伝染病を発生させない環境を整えていくこと。大学院は作らなくて結構だ。すべての人間に小学校教育を与えていくことで、人間の営みそのものが生み出すもう一つの環境問題を解決していくことができる、と。

価値観を変えていく以外にない

 そういった事実をまず知ること、事実を知ることでわれわれ自身の意識を変え、価値観を変えていく以外に、抜本的に人類や地球のすべての命が生き延びることのできる道はありません。

 そして、環境問題を生みだしている病根の根治に向けた実効ある制度の確立と、それを積極的に推進する行政の確立が、絶対的な課題として急務であり、それができなければ、すべてかけ声に終わってしまう。症状の緩和ではなく、病根の根治こそ人類にとって最大の価値なのだ、という価値観を持った人が大勢を占めることが、この地球の崩壊のタイムリミットに間に合うかどうか、ということにかかっているのです。

(分科会終了後、全体のまとめとして)

中小企業家への熱い期待を込めて
万人の輝く未来に思いを馳せる「経世家」たれ

 ヨーロッパの17世紀以降を見ても、良くも悪くも世の中を変えているのは、小ブルジョワジーなんですね。これから日本でも世の中を変えていくのは、中小企業、自営業の人たちが世の中を変えていく中心の力を発揮していくだろうという期待もし、念願もしているものですから、つい口調を荒げて、どうか分かってくれ、と怒鳴りたくなってしまうことをお許しいただきたいと思います。中小企業の皆さんがそういう立場にあるということをぜひ自覚していただきたいと、本当に念願している気持ちからでていることなのです。

 たとえば、いま選挙運動が行われていますが、候補者の話を聞いていますと、税金を減らし福祉を充実させる、などといっていますが、あんた自分の属している政党がなんて言っているか知っているのか、と怒鳴りたくなります。また、金融アセスメント法の要請で先生方のところを回ったときに、一千万円以上の預金は保証しないことについて問題だと諸先生方に話したところ、「会長、中小企業で1千万円以上預金を持っているところがあるのか」と聞くんですね。この程度の認識なんですね。だから私は腹を立てるんです。

 そこで、今日のレジュメの最後に、経営者に対する3つの願いを書きました。まずは、優れた経営戦略家であること。次が、同友会理念にもとづく経営理念実現を目指す「実践的哲学者」であること。一昨年の女性部交流会で「生活者の視点」について話しましたが、これは実に哲学的な課題なのです。自分が人間としてどういう人生を生きるのか、という立場に立ったとき、同友会理念をもとにした経営理念を日常的にゆるぎなくただしていく哲学者として、社員の人たちと一緒になって同友会理念の実現を目指していただきたいと思うのです。

 3つ目は、万人の輝く未来に思いを馳せる「経世家」になってほしいということです。経済という言葉は「経世済民」という言葉からでてきたことは皆さんご存知のことと思います。社会の方向を考えていくのが経世家です。明治の人たちは、そういうことを考えて仕事を造りだしていました。

 渋沢栄一という人を私は尊敬しているのですが、もしあの人が私利私欲に力点を置いていたら、日本一の大財閥を作りだしていただろうといわれているほどの人です。しかし彼はそうはせずに、日本の近代化ということをあらゆる中心において仕事をした人です。そういうことを今できるのは、中小企業、自営業者だけなのです。なぜなら、大企業の経営者は、そうすれば世の中も地球も自然もおかしくなるということが分かっていても、社員を首にしてでも株を上げる施策を採らなければ、次の株主総会で身が持たないわけですから。

中小企業憲章の実現で「命を育む経済社会」を

 本当に人類の未来を考えて行動できるのは中小企業しかいません。たとえば、今日第2分科会で報告されたオーガニックコットンの藤澤さん。藤澤さんから経営計画書を毎年いただくようになって10年ちょっと経ちます。当時社員は5人、いまも7人ですが、その小さな会社がアメリカ本土でコットンの有機無農薬栽培を農家と契約栽培している。そのことにびっくりして、私は何とか販売の力になりたいと思ったのですが、力になれなかった。

 藤澤社長は、このものすごい夢と、どうしてもやっていくんだという強い思いで、経営計画書を作り、外部発信を続け、ここまで市場を作ってこられた。これこそ経世家だと思うのです。

 「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」営みを確かにするためのわれわれの課題は中小企業憲章の実現にあり、その土台を絶対しっかり守っていくことが環境問題の取り組みなのです。ぜひ、自分を主体者として環境問題の真ん中におきながら、われわれの小さな力をいっぱい集めて、21世紀を「生きる」「くらしを守る」「人間らしく生きる」を確かなものとする「命を育む経済社会」へと変えていきましょう。

 最後に、落語を一つ。未来世代に自然を残すというお願いをしましたら、ある人が「そういうけど、未来の世代の連中が、俺たちに何をしてくれたというんだ」と言ったそうです。

 

赤石 義博(あかいし よしひろ)氏
1933年生まれ、中小企業家同友会全国協議会会長、 叶X山塗工グループ(東京同友会会員)会長

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