いざという時に声をかけられる会社なのか~自社の存在意義を再確認 (株)コーワエクシード 代表取締役 香西 良浩(福島)

【絆―復興をめざして】第28回

 震災発生から5年目の節目に、福島同友会から発行された『逆境を乗り越える福島の中小企業家たち』(2017年2月24日発行・執筆は2016年秋)より、会員企業の復興の軌跡をシリーズとして数回にわたり掲載します。第9回目は香西氏の報告です。

 その日は、午後から営業で外回りをしていた。2件目のお客様の事務所で打ち合わせをしている時に、耳慣れない警報音が数台の携帯電話から鳴り響いた。携帯電話の画面をのぞき込んだ人たちが「緊急地震警報だって」と顔を見合わせた。その直後、腹に響くような地響きとともに突き上げるような縦揺れと立っていられないほどの激しい横揺れが襲った。いつまでも揺れ続けるのではないかと思わせるような地震が一旦収まり、事務所の外に出てみると周囲の光景は一変。瓦は落ち、外壁は崩れ、石積みの塀は倒壊し、道路にも亀裂が走っていた。呆然としていると、空は一気に暗くなり吹雪きだした時、これからどうなってしまうのだろうと途方に暮れたのを今でも克明に憶えている。

材料が手に入らないもどかしさ

 あれから5年が経ち、私の会社にもいろいろな変化があった。弊社はサッシやガラスなどの建物の開口部をメインとする建築資材を販売施工する会社であり、震災の1カ月前くらいから、建物の維持管理や修繕をメインとする事業部を設立しようと準備していたところであった。

 東日本大震災では建物が倒壊し甚大な被害を受けた。倒壊は免れたが半壊や損壊を被った建物もそれを上回るほど多く存在した。建物の中でも窓ガラスは割れたり歪んだりと、被害を受けやすい場所である。壁の部分でも構造上開口となっているゆえ、どうしても建物の揺れに対して影響を受けやすい部分だ。

 弊社にも「割れたガラスを直してほしい」「ドアが開かないので開けてほしい」「鍵が掛からないので直してほしい」という依頼が殺到した。当初は在庫しているガラスや部品で対応していたが、あっという間に在庫は底を尽きた。材料を資材メーカーに手配したが、メーカーも工場や倉庫や物流施設が被害を受けており、いつ入荷になるかも目途が立たない状況が続いた。

 修理をしたくても材料が手に入らないもどかしい現状があった。震災直後、3月といえばまだまだ寒い日も続く季節である。壊れた窓からは、外の冷気が侵入してくる。割れたガラスにべニヤ板を貼ったり、それも無くなればダンボールでガラスの代用として凌いだ。

 建物の維持管理や修繕をメインとする事業部では、準備不足が否めないところではあったが、店舗を始めとする建物の損壊を調査し、修繕する業務をスタートさせた。こちらは、建物全体の損壊に対する修繕の依頼であるため、修理する資材の確保に難儀した。とりあえず、損壊した箇所の撤去や安全対策だけに留まった現場も多かった。特に内装資材は手に入り難く、撤去した天井が剥き出しのままで営業していただいた店舗もあったことを思い出す。

 また、工事依頼現場への移動手段であるトラックや営業車のガソリンや軽油も手に入らない状況が続いた。1時間ガソリンスタンドに並んで、20リットルまでの制限しか給油できない時には憤りを感じた。よって、遠方のお客様には予定を大幅に遅らせていただいたり、要望の期日に間に合わない時には、お断りの連絡を入れたこともあった。大変不甲斐ない思いであった。

いざという時に声をかけられる会社

 弊社の経営理念の3項のうちの2項は「私たちは、心豊かな住環境の創造を通して、お客様の安心と快適を提供します」「私たちは、地域社会に密着した、信頼される誠実な企業を目指します」である。

 外部環境の要因であれ、理念に沿えない社内体制を整える必要があることに気づかされた。震災時5名であった社員も倍の10名に増員し、依頼があれば店舗の事故処理にも対応できるように、緊急時の連絡網や資材のストックを見直した。また、所在の郡山市および近郊の市町村から、福島県全体のエリアにも対応ができるように、遠方のエリアにもサービスパートナーを設置して要望に応えられるようにした。

 いざという時に、声を掛けられる会社なのか? 対応できる会社なのか? 自社を見つめ直した時、会社の存在意義を再確認し、地域に貢献できる企業づくりをしていかなければならないと改めて感じさせられた。

会社概要

創業:1989年11月1日
従業員数:10名
事業内容:建物メンテナンス、建築資材施工
所在地:郡山市八山田2丁目81番地

「中小企業家しんぶん」 2018年 4月 5日号より