経営指針作成初めて物語~職人のままではいけない。経営者になろう!(株)イワキ製作所 社長 大山 次夫氏(福岡)

目標が一致した会社チームづくりこそ

 職人から経営者に―社長の意識改革によって再建してきた(株)イワキ製作所。昨年10月、「経営指針作成初めて物語」と題して行われた「第20回福岡県中小企業経営フォーラム」第1分科会での報告を、福岡同友会の機関誌『同友』1月号より紹介します。

職人が起業した会社

 (株)イワキ製作所は、私の父が1962年に個人創業した会社です。職人として働いてきた父が、自分で給料を渡す側になりたい、もらう側にはなりたくないという思いで、旋盤職人、手仕上げ職人さんの3人で独立しました。

 父親は職人ですので、経営とか営業とかいうのは全く知りません。経営者は、従業員よりも一生懸命働いておけばいい、というだけでした。私が営業をかけても仕事は回ってこないし、それだけの技能もついていませんでした。

 そこで、そのころ出回りだしていたCNC旋盤を導入しました。年商の1・5倍から2倍の値段でなかなか踏み切れなかったのですが、「どうせ裸で始めた仕事やけん、裸になってもいいけん、やってみろ」という父の一言で、導入しました。しかし、技術がついてこないので、父の元から独立していった職人さんから教えてもらいながら、2~3年かけて何とか一人前に仕事ができるところまできました。

業容は拡大したが

 そのうちにバブル期がきて、NC旋盤も2台目、3台目と導入しました。トヨタの1次下請けのK工業から産業車両センターの仕事をしてくれんかという話が舞い込みました。そこで、CNC旋盤、マシニングセンターを新たに購入し、K工業の仕事にあわせ、大型設備投資を行っていきました。

 とにかく納期に間に合わせないといかんからと、午前2時、3時は当たり前という状態で社長も現場で働き、従業員も15、6名まで増えていきました。

 当時は、人数が増えただけで、経営指針もなく、ばらばらの集団でした。今考えると、哀れな会社としか表現しようがないのですが…。

バブル崩壊で業績悪化、最悪の労使関係

 バブルが終わるとともに、K工業も九州から引き揚げていきました。当社は、借金だけが残ってしまいました。機械のリース料も含めると、1億近い借金。どうしたらいいかと非常に悩みました。

 人も減らさなければしようがないので、ふたたび5、6名の会社になりました。当然、従業員との関係も最悪状態。おまけに一人ひとりがばらばらの会社。2007年3月に同友会に入会したのは、ちょうどそんなときでした。

 私は父から「現場で仕事一生懸命やっとけば、社員はついてくる」ということをずっと言われていましたので、とにかく現場で一生懸命ただ仕事をやってきました。しかしそれでは社員が成長しない。「社長がするけん、社長に任せろう。社長に振っとけばおれたちは楽やない」と。私はおかげで、徹夜とかは当たり前の状態をずっと繰り返していました。結局、社長という仕事を私は何も分かっていなかったのです。

経営指針塾で社長の仕事を徹底して考える

 同友会の新入会員フォローアップセミナーに参加して、「これから会社をどうしていくのかという、従業員にとって一番大事なものを社長は背負っている。先を読み取る力を社長は蓄えないといけない。社長が現場で疲れきっていたのでは、先は見えない。従業員さんに対して責任をとる」といった、社長の仕事というものを徹底的に考える必要があると感じました。

 ここまで自分は知らなかったんだということを改めて確認させられたのが、1泊2日のウェルサンピア福岡での経営指針塾でした。経営指針書が会社にとってどんなものかが分かりました。

 行き当たりばったりの人生でいくのか、おれはこう生きたいんだとやっていくのか、というのとほとんど一緒だと思うんです。行き当たりばったりの人生だと、どこで何が起こるかわからない。何か起きても対応しきれない。それは会社も全く一緒だと私はとらえています。

 経営指針書は、社長1人が頑張っても限界があるので、従業員を巻き込んでつくろうと考えました。

 その後、税理士の先生に相談したところ、すぐに5カ年売上計画を作成してくれました。経営指針書はなくても、売上計画を作成したおかげで、「今期これだけ売り上げらないかん」とか、「売上がここで落ちとう」とかいうものを非常に意識するようになりました。

 私も技術は分かっても、経営や数字という部分は分からないので、去年から福友支部の井上税理士事務所で月1回の勉強会に参加しています。現場で働いている社長さんもいらっしゃると思いますが、これをやるのとやらないのとでは違いが出ます。こういう不景気に入ったときに、戦略とか計画とか「これから先、このようにやっていかないとまずいっちゃないかいな」というのが、立てやすくなります。これは、現場しか知らなかった私が一番今、経験していることです。

初めて経営指針書を作成してみて

 昨年9月中ごろから、社員さんが出勤したときに一人ひとり呼んで、「会社に何か言いたいことはない?」と聞きました。すると、「この会社、ばらばらですよね」とか「給料は上がらんとですか」とか、私の聞きたくない言葉がいっぱい出てくるんですね。前だったら、そんなことは聞きたくない、給料が上がらないのはこういう理由だと、逆に自分の防御ということをやっていたのですが、今回話が聞けました。

 それは、私が不景気をもろに感じて一番危機感を覚えているからです。「社長が変われば会社が変わる」という言葉がありますが、結局、会社というのは社長の器の範囲内でしか成長しない。私が変わらないと、とてもじゃないけど会社は変わらない。そこで、まず社員の意見を聞こう、そしてこれを経営指針書に少しでも盛り込めたらという思いがありました。

 経営指針書ができて、発表会をやったときに、「1年に1度発表会をしますから」と言うと、従業員から「1年に1度ですか。それでこの経営指針書どおりにいっているかいないかが読み取れるんですか。半期に1度やってください」と言われました。半期に1度というと、私にとっては大変なことですが、やろうと決めました。従業員さんが、「半期に1度やってください」と言ってる中身は、「会社、しっかりしてくださいよ」ということだろうと受け取りました。

 経営指針書を作る中で、結局、私が中途半端、いい人を演じている以上は、会社もどうしようもないということを強く感じました。今まで社員に、ああしよう、こうしようと言っても、言うだけでやらない、ということを繰り返してきたことに気づいたのです。この間にやめていった社員さんに申しわけなかったと思っています。

チームづくりが大事

 今は、社内チーム作りのためにいろいろのミーティングを開いています。人とまともにむかって会議で発言していない人は、どうしても人との関係が作れず、チーム作りができず、ストレスだけを溜め込み、休みがちになります。現場で優秀だからといって、決して人をまとめるのが優れているとは限らないのです。

 同友会に入会して、「社長の仕事とは、自己満足でやってはいけない。きちんと目標を定めて、それが社員さんにも分かるというところまでもっていかなければいけない。そこで社員さんと社長の目標を一緒にして会社を発展させていく」、この会社チームづくりが必要だと感じています。

経営理念(ミッション)

私達の製作する機械部品を、お客様へ提供し、ユーザーが喜び、そのユーザーの人間幸福、生活水準の向上へをめざす。
 お客様:私どもに注文をくださる方々(設計会社、組立メーカー、機械メーカー、部品加工メーカー、商社様)
 ユーザー:私どもの機械部品が組込まれた機械を利用、又は機械で生産した商品を購入の方々

会社概要

創業 1962年
資本金 300万円
年商 1億2000万円
社員数 15名
業種 産業機械部品から半導体製造装置部品まで。システムによる多品種少量生産
所在地 筑紫郡那珂川町西畑
TEL 092-952-2201

「中小企業家しんぶん」 2009年 5月 5日号より