届け! 同友の春風、被災地の隅々に―東日本大震災・復興へ-地域と共に

 東日本大震災が起きた直後から、新潟同友会が切り開いた日本海ルートを使い、全国からぞくぞくと送られてきた支援物資が被災者の元へといち早く届けられました。地域復興に向け奮闘する岩手と宮城、そして新潟からの通信を紹介します。

地域の声を聞き続けてきたから【岩手】

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 全国の皆様の想(おも)いが、春風に乗って岩手の隅々に届き始めました。新潟に集まった全国同友会からの救援物資は、山形、宮城を経由し、3月18日から毎日直送便で届いています。

 現在岩手県内の被災地、特に沿岸部ではまだまだ食料も、生活物資も全く足りない状況です。しかし県が指定した盛岡の救援物資拠点には、配送できず山のように重なった物資が置かれたまま(21日時点)。たくさんの方々の想いを、本当に困っている人たちに届けられないもどかしい被災地の現状があります。とくに厳しいのは、小さな公民館や自宅を開放した小規模避難所です。電気も水道もまだ復旧せず、食料も十分に供給されていません。移動するにも燃料が全くありません。

 同友会の物流ルートは、当初から全く違いました。全国に血管のように張り巡らされた都道府県バトンルートがいち早くつくられ、私たちが今本当に必要としているものが、血液のように流れています。新潟から届く全国からの便、秋田、青森から直接届く便で盛岡に物資が集められ、沿岸地域に毎日4トントラックとハイエースで配送されます。

 震災後から、陸前高田ドライビングスクールは、さながら市役所のような機能を果たしています。物流、情報、人の交流拠点です。物資が届いた直後から女性陣が陣頭指揮をとり、仕分けが始まります。事前に避難所の状況を見てきた人からの情報を整理し「あの避難所では今、大人用の紙おむつが不足している」「あそこには赤ん坊がいるから、粉ミルクを3個追加」「下着が足りないって言ってたよ」などの声を集め、必要な物資が届き次第、その場で箱を解体し、必要な物資をワンパッケージに。それが積み終わると、車が動き始めます。

 物資を乗せたトラックが到着すると、「こんなにいたの」と思うほどの人がいつの間にか出て来て、自然にそれぞれの避難所へと車が動き出す。その動きを支えているのが、気仙支部会員企業の社員の方々です。そして「声」を聴いてくるのは会社も自宅もなくなってしまった同友会の会員です。

 「何か人の役に立ちたい」甚大な被害を被った地域の人たち自身も、想いは同じです。「やることは以前とは違うけれど、やっていることはいつもと同じ」。ある社員が言っていました。街はなくなっても生き続ける中小企業の姿です。

 いま最も問題なのは、一般の家庭に避難しているお年寄りの方々です。自分で給水所に水をくみに行けない。避難所に炊き出しをもらいに行けない。真っ暗な中でじっと声を出せずに我慢している方々です。

 今日、青森・秋田から届いた自転車50台は、そうした「自宅避難所」の声を聴くためにどうしても必要なものでした。同友会自転車隊がいよいよ動き出します。震災から10日経ち、最も過酷な環境は、映像では見えないところにあります。地域のお客様の顔を見て、声を聴き続けてきた企業だからこそ、できることがあります。皆様からいただいた想いは、本当に必要な人たちに、同友会会員の手で大切にお届けしています。(3月21日)

記/岩手同友会事務局長 菊田 哲

支えは同友会で培った人の絆【宮城】

 昨日の夜8時半ころ、ある沿岸部で福祉関連の仕事をする会員さんから携帯電話に電話がかかってきました。「この数日間お客様をまわり、レンタルベッドを社員2名と引き取りにいってきた。泥の海をかき分けてやっとの想いで回収してきた。浸水した自社の倉庫に帰ってきて、同友会の救援物資を見た瞬間、社員と一緒に大泣きして喜んだ。マスクや消毒液が入った段ボールには、全国各地の仲間が『ガンバレ!』とか『負けないで!』と書いてくれていた。『俺たちは1人じゃない!』『同友会に入っていて本当に良かった!』と心から思ったよ」とのこと。

 「この地域を復興するのは社長のような経営者しかいない。ここでくじけずに一緒にやりましょう!」と伝えると、「その通りだ。俺はやるよ! この地域を絶対元気にするよ!」と話してくれました。

 事務局員も「緊急車両認定」を取得した車で、現場をまわり始めています。行く先々で、「FAXが復旧した瞬間届いたのは、同友会のニュースだった。しかも雇用や金融に関わる処置についてだった。おかげですぐに動くことができた」「同友会から来たニュースを商工会に持ち込み、仲間に内容を伝えた。ありがたかった」といった声をいただきます。行政機能がマヒしているある町では、会員企業数社が結集し、町のために動き始めています。これも、中同協や兵庫同友会が、「阪神大震災」の教訓をきちんとまとめてくれていたおかげだと痛感しています。

 被災が特にひどかったある地域の会員さんがこんなことを話してくれました。

 「かつて参加した『経営指針を創(つく)る会』で学んだことの意味を今痛感している。わが社が地域で何ができるのかを模索した。行き着いた答えは『地域と共に』『人の命を守る産業』『わが社においては社会性の追求こそ最大の科学性』ということ。地域のための定期的なボランティア活動の継続や、自前での『防災避難マップ』の作成。各会社を避難所に指定し、食料や毛布も一定量ストックしていた。今回の大震災で、今まで積み上げてきたことへの確信を持った。多くの人の命を救うことができた。自社の復興も町の復興も大変だけれど、俺は挑戦するよ。何が支えになるか? この同友会で培った人との絆だ」。

 同友会のすごさを再認識するとともに、現場の声に勇気づけられ、全国のみなさんの想いに支えられ、宮城同友会は前進しています。(3月25日)

記/宮城同友会事務局長 伊東 威

想いをつなぐ同友会バトンリレー 全国―新潟―山形―宮城―岩手ルート【新潟】

 新潟同友会では、震災直後の3月14日から15日にかけて、被災地にいち早く救援物資を届けようと燃料の調達状況、道路交通状況等を全国や被災地同友会の事務局長と意見交換しながら構築しました。被災者の切なる想いに応え、被災地に救援物資を届けたいという全国の会員の熱い思いを被災者に繋ぐバトンリレーの中継地として新潟同友会が窓口・玄関の役割を担うことになりました。

 山形同友会にバトンを渡し、岩手同友会や宮城同友会に結ぶルートです。

 大分や徳島からの支援物資に新潟からの物資を加えた第1便が3月16日に新潟を出発、17日に山形を経由して岩手・宮城に届けられました。ゆうパックや大手運送会社が東北への配送を取りやめる中で、いち早く被災地に支援物資を届けることができました。

 16日から中同協の呼びかけで本格的に救援物資の募集が開始され、全国から着々と窓口となった新潟へと物資輸送が始まりました。同時に救援物資ルートを確かにするため、新潟同友会では輸送用の軽油等、富山同友会の支援も得て、一定期間、安定した燃料の調達も確保し、届いた支援物資を隅々まで届ける体制を確立しました。

 3月後半に入っても全国の同友会、会員のみなさまからの温かい支援の申し出で事務局の電話がなりやみません。同友会の絆の強さ、同友会のスゴサを改めて感じています。今、新潟同友会事務局はまるで運送会社の事務所のようです。救援物資の荷受けや受け渡しの段どり、トラックや会員有志の運転手の手配、荷下し、積み込みの協力依頼、トラックの運転手までやらせていただきました。

 すでに全国に多大な影響が広がっています。中小企業家として真の経営力をいまこそ発揮する時です。連帯した一人ひとりの力で未来を引き寄せ、社会の主役として時代を牽引していく強い意志をもち、オールジャパンで各地に新しい仕事の種を植え、新しい挑戦の芽を育てていきたいと思います。(3月23 日)

記/新潟同友会事務局長 池田 泰秋

「中小企業家しんぶん」 2011年 4月 5日号より