【チャレンジ市場創造】健康で快適な眠りを提供することが自社の使命 (有)菊屋 代表取締役 三島 治氏(静岡)

地域に人に、役に立ってこそ初めて生かされる 安らぎを与える枕「おとみん」

三島社長

日本睡眠改善協議会公認インストラクター・心理療法士等の資格を有する三島治氏((有)菊屋、静岡同友会会員)は、寝具店として、「共生・共眠」で、明日への希望の光を提供しています。「リズム睡眠法」という枕から始める物理的睡眠環境を提案することで、より良い眠りを人々に提供する「眠りの総合プロデュース」に自社の存在価値を見出しました。町の小さな寝具店から世の中に忘れ去られた蚊帳が蘇ったことや安眠を追求した枕、そして提唱するリズム睡眠法を実践する枕の「おとみん」(音と眠りの共眠)の開発。「人も企業も役に立ってこそ初めて生かされる」という経営姿勢から生み出された地域に生きる町の小さな寝具店の経営実践を紹介します。

より良い眠りを提供します

(有)菊屋は静岡県西部にある磐田市、JR東海道線磐田駅から徒歩5分、地元のJリーグチームにちなんでジュビロードと名付けられた商店街の中で寝具店を営んでいます。

「より良い眠りを提供いたします」と店頭看板に掲げているのは、単に寝具を売るのではなくその寝具に秘められた本当の価値をお客様に提供することでこそ、役に立ってもらえるという思いからです。店を訪れる不眠に悩むさまざまな人たち。頼りにされることに何よりうれしさを抱きながらも、現在までの道のりは決して平坦なものではありませんでした。

父の創業と急逝、そして承継

1951年、父・昇氏がふとん店として、「しあわせな夜をあなたに」をキャッチコピーに創業しました。物不足の時代で、化学繊維素材やマットレスなど新しい寝具の出現もあり、一段と寝具の需要に広がりを見せていました。商品を右から左へ消費者に供給することで自社の社会的価値を認識することができました。

1978年、父が社名を現在の菊屋に改名し、その3日後、白血病で他界。当時22歳だった三島氏は、福島大学卒業後、東京でサラリーマン生活を送る生活にピリオドを打ち、家業を継ぐ決意をしました。

商店街存続の危機の葛藤の中で

折しも商店街存続の危機がささやかれていた時代で、すでに従前の寝具店の社会的使命に終焉(しゅうえん)を迎えざるをえない状況でした。それでも生業として生かされている身からはなかなか脱却できず、あの手この手と販売営業に追われました。内心では「物の時代は終わった。気づけ」と自らに言い聞かせながらも、自社と自分自身を変革することは容易なことではないと思っていました。

磐田市でも80年代ころから大型小売店が町の郊外へ進出してきました。寝具を寝具専門店で購入しなくとも手に入るようになり、従来の寝具店としては役立つことが困難な時代に突入し、自社の業績も落ち込みました。

眠りの勉強を始める

「町の小売店は地域に根を張る植物のようなもの。そして、役立っているかという人々の評価は、絶対評価ではなく、相対評価として捉えている」と三島氏は言います。

事業の存続のため、改めて自社の社会的使命が何かを見つめ直し、先代から掲げていたキャッチコピーを「人々に健康で快適な眠りを提供すること」と改めました。その実現のためには自分自身の勉強が今一度必要だと睡眠環境学会等で眠りの勉強を始めました。

ネットで蘇る「蚊帳」

蚊帳

眠りについて学んだ知識を生かし「一人ひとりに合った枕がある」と、まだそれほどインターネットが普及していない1996年、ホームページ「あなたの枕を捜します。anmin.com」を開設し、三島氏の挑戦が始まりました。

「蚊帳は売っていますか?」―枕による睡眠改善提案と併せて枕や寝具を販売していた1997年、お客様から1件の相談がありました。その問い合わせは「頼む」営業から「頼まれる」営業に変わる出来事でした。

子どもがいて殺虫剤を使いたくないというお客様の要望に応えるために、すぐに蚊帳をメーカーから仕入れて届けました。これを機に、ネット販売を通じて、どこにも販売されなくなった蚊帳を呼び起こし、提供することでお客様に役に立ったと喜んで頂きました。そこに自社の存続の道があると気が付きました。「人も企業も役に立ってこそ初めて生かされる」。本格的に蚊帳の販売と開発に乗り出しました。蚊帳への注目は日に日に増し、お客様の要望も多様化していきました。

洗濯できる蚊帳がほしい

従来の蚊帳は水洗いができない織り方でしたが、なんとかお客様の要望に応えたいといろいろ探しました。そこでたどり着いた先は、静岡県の名産シラス漁の魚網を得意とする地元の機織業者でした。

磐田市は古くから織物産業の街で、磐田の伝統技術を蚊帳に「天然麻の蚊帳の生地を磐田の伝統技術カラミ織りという魚網に適応する技法で織ってほしい」と何度も工場に足を運び、懇願したところ了承して頂きました。

完成した生地と地元縫製業者の技術によって洗濯できる蚊帳がついにできたのです。連携した2社とも蚊帳の生地を取り扱うことは初めての挑戦でしたが、地域の中で培われたノウハウに着目することで新たなビジネスモデルの展開を図れることを知りました。

「共生から共眠」蚊帳の博物館を設立

ベッド用やムカデ対策用の蚊帳も開発し、お客様の要望に応えていきました。またパリ国際家具見本市に出展したり、アフリカでは蚊帳は命を救うものだと、ハンカチタオルの売上金を現地に寄付するマラリア撲滅運動も行ったりしました。1999年には、睡眠環境学会で「共生から共眠」というテーマで睡眠に対する考え方を提唱。そして2005年、自社に蚊帳の博物館を設立し、全国へ発信しました。

「あんみん枕」から「おとみん枕」へ

三島氏は「わが社は蚊帳屋と思われるかもしれませんが、菊屋は寝具店です。蚊帳の販売展開は快適な眠りを提供するための一手段に過ぎません」と言います。学会で学んだ枕理論と蚊帳の技術を結集した「ねいるケアあんみん枕」(寝入る前に枕を調整して、より安眠を追求するという意)を開発し、さらにこの枕を進化させるべく、睡眠中の呼吸リズムを整えるのに有効な枕と音を融合させた枕の開発に取り掛かります。

オリジナルのあんみん枕に、浜松市のスピーカー開発会社と米国在住のネイチャーサウンド編集者の技術を組み合わせて生み出された枕「おとみん」が完成しました。

 既存の薄型ブックスピーカーを改良し、この枕のために開発した高音質・超薄型の「アンダーピロースピーカー」が使われています。これで安眠の課題であった睡眠時の腹式呼吸リズムを容易に創ることが可能になりました。

 スピーカーから流れる3Dの音にもこだわり、不眠症患者にも処方されるネイチャーサウンド(自然な音)を採用しました。寝ている人はスピーカーの位置を感じることなく音の3D空間にそっと寝て居るという、ごく自然な状態に身を置くことができます。スピーカーを包むカバーは、丈夫で熱を持ちにくい天然麻の蚊帳の生地を使用することが適していました。

役に立つことが生きる力に

「より良い眠りを提供する」という経営姿勢を追求し見つめ直すことは、人々の明日への希望や活力を見出す、まさに「生きる力」を育んでいることと言えます。「人は共に生き、育ち、そして眠る。今、世界で起こっているさまざまな暗い出来事も蚊帳の『外』でなく、皆が蚊帳の『中』として捉えていくことで、社会の明日が希望に満ち溢れた平和な世の中になれば」と三島氏は熱く語りました。

会社概要

設立 1951年
業種 寝具・蚊帳の製造、販売
所在地 静岡県磐田市中泉243
http://www.anmin.com/

「中小企業家しんぶん」 2011年 5月 25日号より