東日本大震災と私―岩手の未来は自分たちにかかっている

【〈シリーズ〉復興―我われが牽引する】

 岩手同友会ホームページから、シリーズ「東日本大震災と私」より4社の事例を抜粋して紹介します。

こんな時にこそ役立つ仕事をしているんだ

東日本機電開発(株)―代表取締役 水戸谷 剛氏

 東日本機電開発(株)は、配電盤をひとつひとつ設計してつくり、岩手や青森、秋田の3県で事業展開をしています。また、鶏糞を肥料として利用する環境事業にも取り組んでいます。

こんな時にこそ役立つ仕事をしているんだ

 3月11日の昼すぎのことでした。ものすごい揺れが岩手を襲い、県内のほとんどの地域が停電してしまいました。その日はとにかく社員の安否確認を急ぎ、社員全員が無事だったことに安心します。その日は社員を早く帰宅させました。

 「停電が1日続いたとき、どうなることかと思った」と水戸谷さんは当時の状況を振り返ります。2日間停電し、ガソリンもない状態でした。ガソリンスタンドへ行っても7時間待ち。そんな状況の中で、九州で温泉がオープンするため、配電盤を納品しなければなりませんでした。

 社内では「こんな時に仕事をしている場合か」という声がありました。しかし、震災で混乱している時期でも仕事をもらい、「こんな時にこそ役立つ仕事をしているんだ」と自社の存在意義を感じた水戸谷さんは、社員にそのことを説いたのでした。

復興に向けての新しい取り組み

 震災からもうすぐ1年になり、「はやく復興をしないと、仕事がなくて地元から人がいなくなってしまう」と危機感を募らせています。失業保険の給付期間が終わることや震災をきっかけに農業をやめた人も多いことなどをあげました。

 そんな中、震災前に取り組む予定にしていた事業に着手。グリーンハウス内でのイチゴの水耕栽培システムの設計・施工を手がけることで、今まで持っていた電機事業の技術を農業に活かしていきます。健康な土が微生物の働きを活性化するとし、鶏糞を肥料として利用する環境事業に取り組んではや8年。『健土・健食・健民』をテーマとして、「岩手県の土を直す」こと、そして岩手県の第1次産業に光をあて、大規模農業で雇用を創出し、地域の食品業者や観光業と連携して産業を活性化することを目的に取り組んでいます。

社員とともに第二創業

(有)小川原自動車鈑金―代表取締役 小川原一成氏

 (有)小川原自動車鈑金は、12名の社員の自動車車体整備業。交通事故で大きな損傷を受けた車も経験豊富な職人が1つひとつ丁寧に仕上げ、きれいに修復できることを強みとして、車の引き上げから納車まで一貫した工程でお客様に安心を提供しています。

とんでもないことが起きた

 3月11日東日本大震災から2日半停電が続き、被害状況も把握できませんでした。数日後、沿岸部へ支援に出かけました。そこで瓦礫の山を見て言葉にならないほどのショックを受けました。そこで暮らしていた全ての人の生活が奪われてしまったのです。

 岩手同友会震災復興本部でも、誰も経験したことのない事態の中でどうしたらいいか討議しました。そして、本業をしっかりやることこそが支援になるという結論にいたりました。社員にも「事業は再開する。今、自分たちにできることをしよう」と伝えました。

 この時は、自社の間接被害への対応策や資金調達の情報に全くピンとこず、借り入れを重ねるのにも抵抗があり、資金調達もしませんでした。しかし、震災以降、仕事が大幅に減少し、半年後には資金不足に陥りました。

人を助けるヒーローになろう

 この震災で失われたものは多くありますが、私たちが忘れかけていた本当に大切なことは何かを考える機会になったように思います。自社で何ができるのか、日常どうあるべきかを社員に問いかけました。

 先が見えない状況だったからこそ、原点である理念に戻りました。「人々の喜びと幸せを創造する」という理念を実現するために、まず社員全員が生きがい、働きがいを持てる会社にしていこうと話し合いました。

 これまでは、事故をされた方の不幸で仕事をさせてもらっているという価値観も正直ありました。しかし、それでは人々の喜びと幸せは創造できないことに気づきました。

 これからは、困った人を助ける「ヒーロー」になろうと決めました。万が一、事故が起きてしまっても安心できるよう、お客さまをサポートしていくことが自社の使命です。

この地域だから頑張れる

(有)くらし建築工房-代表取締役 中村 喜一氏

 (有)くらし建築工房は、住宅に関する地域からのあらゆる要望にお応えしています。お客様の9割以上は、会社のある山岸地域の半径3キロ圏内、地域にお住まいの方々です。「こまったをよかった!! に~水廻りから建て替えまで」をキャッチフレーズに小さな困りごとを解決することからお客さまとの関係づくりをしています。

灯りが消えた地域が心配で心配で

 震災が起きた時は、盛岡市内の現場にいました。大きな揺れが起きてすぐに携帯電話が音信不通になり停電が続きました。翌日、社内に集まり、水、食糧、燃料の調達について話し合いました。燃料調達も資材入手も大変でした。

 電気が復旧して津波の映像を見ても信じられませんでした。この先どうなっていくのか不安が募りました。こんなとき自分たちが何をすればいいのか考え、指針に戻りました。そして、目の前の地域を守ることが自社の役割だと再確認しました。社員、お客様、地域を守り存続させるために、山岸地域の住民に「お困り事があればご相談ください」という緊急チラシを1軒1軒、歩いて配りました。

 1軒1軒訪問していると、誰もが不安に思っていることがわかりました。後日、地域住民から感謝され、私も社員も自社の存在意義を実感しています。

全社一丸となるための共育ち

信幸プロテック(株)―代表取締役社長 村松幸雄氏

 信幸プロテック(株)は「設備の総合病院」として、誰かに必要とされ、頼りにされ、「おかげ様」と感謝をされ、そして「あなたがいなくては困る」と言われる存在となる企業をめざしています。また、地域での採用活動を続け、「共に幸せになろう」と、地域と共に育つことを大切にしています。

社長の問いかけに社員は…

 震災で大きな影響を受けました。沿岸部との取引が20%くらいあるうち、10%が津波で流されてしまったのです。沿岸部にあった企業や公共施設だけでなく高台にあった企業の産業も止まってしまいました。

 決算期となった昨年4月、次期の経営指針の作成に取りかかる時、内陸部への影響もあり、40%程度は影響するのではないかという話をしました。

 そうすると「社長はそういうけれど、震災で具合の悪い機械の修理がくるから忙しくなるんじゃないか」という声が社内会議で出ました。社長の問いかけに社員はしっかりと先を見据えていました。会社は今、とても忙しい状態になっています。大手企業が沿岸部に出ているため内陸が手薄になり、修繕の仕事が増えているのです。

岩手を復興する光

 岩手同友会では震災の3週間後に合同入社式を控えていました。震災があって経営環境の厳しい企業が多い中、岩手同友会では1名も内定を取り消すことなく、4月1日に合同入社式を開催しました。

 震災後、県内企業の環境は一変し、売り上げの見通しが全く見えない状況が続いていました。そのためか、新入社員の紹介では、人生の大切な船出であるにも関わらず、声を大きく出して喜べない新入社員たちの背中が悲しそうにも見えました。その雰囲気を一掃したのが信幸プロテック(株)の先輩社員の激励でした。

 入社2年目の佐藤幸政さんが「皆さん、私とこの岩手を復興しましょう! 私たちが牽引し、地域を再生しましょう!」と語ると、新入社員にもようやく高揚した表情が生まれました。

 岩手の未来は自分たちにかかっていると決心を固めたきっかけとなったのでした。

「中小企業家しんぶん」 2012年 2月 15日号より