【全研特別企画 パネルディスカッション】私たちは負けない! 地震、津波、原発、風評被害の4重苦を乗り越えて

パネリスト

高橋美加子氏 (株)北洋舎クリーニング 代表取締役(福島同友会相双地区会長)
渡部明雄氏 アース建設(株) 代表取締役、農事組合法人 いわき菌床椎茸組合 理事 (福島同友会いわき地区会長)
安孫子健一氏 (株)建設相互測地社 代表取締役社長(福島同友会理事長)
■コーディネーター
吉田敬一氏 駒澤大学経済学部 教授、中同協・企業環境研究センター 座長

東日本大震災後の状況

高橋 私のいた南相馬市原町地区は、地震後もライフラインは全部揃(そろ)っていました。ところが時間がたつにつれ、津波の被害、東京電力福島第一原子力発電所1号機の水素爆発という想定外のことが続き、「もうダメだ」とほとんど何も持たずに逃げました。

町の機能が全てなくなりました。ゴーストタウンになった街に真っ先に戻ってきたのは、商売をしている人たちでした。スーパーマーケットのフレスコキクチを経営する菊地さんは、近隣のお店が全て閉まっている中で、お店へのシャトルバスを毎日出してくれて、住民の生活を支えてくれました。ガソリンもない状況でしたから、通常では考えられないことです。

渡部 3月11日は朝から夢を持って多くの方との予定をこなす中で、事務所へ戻った時の地震でした。海から500メートルほど離れたいわきの臨海工業地帯に私の工場があります。重工業関係の工場の炉が爆発して煙突の傘が飛ぶ様子を見て「これは地獄だ、もう終わりだ」と思いました。電話もつながらず、情報が全くない状態での行動は恐怖でした。

安孫子 地震の時は仙台にいましたが、交通機関も完全に麻痺(まひ)し、13日午後にようやく郡山に帰りました。14日に全社員に「3月中は自宅待機にしよう」と伝えました。経理担当者には万1に備え、社員が避難できるだけの現金を準備するよう指示を出しました。

その後郡山にある福島同友会の本部事務局へ向かい、安否の確認、「事業再開に全力を尽くそう」というメッセージの発信、対策本部の立ち上げ、という3つの指示を出しました。

吉田 危機の時に上司がいなかったら、社員はどうするのか。先ほど紹介されたフレスコキクチでは、社長と連絡がとれない状況でも社員の判断で店を開いていました。社員の「自働化(じどうか)」です。この言葉はトヨタのカンバン方式としても有名ですが、この場合は業績向上のための「管理された自働化」です。ところが、同友会型企業の「自働化」は、経営理念、経営指針に基づいて社員が自発的に動きます。

社員との信頼関係をベースに地域復興へ

高橋 クリーニング屋ですので、お客様から預かった品物を返さなければならないという思いで震災後は再開しました。社員も自主的に戻ってくれ、見事なチームワークで働いている姿を見たときに「社員との信頼」という意味を噛(か)み締めました。震災後、私は行政への提言活動などで会社を離れることも多いのですが「社長、いいですよ」と逆に私を送り出してくれます。

地域を復活させようと勉強を重ね、下請けの形で仕事が回されていることが見えてきました。金融関係からは30キロ圏内という理由で融資を断られる状況でしたが、私たち同友会から関連する経済団体に声をかけ、いろんな場所で現状を伝え歩き、最終的には国にも要望を伝えることができました。

子どもを安心して育てられる地域でなければ、地域の復興はありえません。私たちは胸を張って要望、提言すると同時に、自分たちでも実践することです。春休みの期間を利用して、学生たちが自主的に子どもの遊び場を運営しています。これも声を出して実現できたことの1つです。

人間その気になれば何でもできます。まずは勇気を持って声を上げること。「どうせダメだ」といったコンプレックスは単なる思い込みでした。

極限状態の中で

渡部 震災後も社員は全員出社し、黙々と仕事をしてくれていました。しかし、3月15日に政府から半径20キロから30キロ圏内に「屋内待避」の指示が発表され、ゴーストタウン化しました。金融機関も含め、大企業はコンプライアンスのために社員もみんな避難してしまいました。大企業は全く「我」主義です。まずは自社の利益、社員優先でわれわれ市民のことは全く考えていません。われわれはそうではありません。地域の人が困っていると分かれば、飛んで行って無償で働きました。

定期的に入ってくるe.doyuの情報はありがたかったです。少ない情報の中でどうしたらよいのか分からず弱気になったところに「資金調達すること、社員を守ること、地域の使命は『1社も潰さない』こと」とメッセージが届き、極限の状態で判断力が低下した時の原動力になりました。津波で流された会社もありましたので、潰さないように守らなければとみんなで団結していきました。

大企業と中小企業の地域貢献

吉田 3点強調させていただきます。1つは地域貢献についての大企業と中小企業(同友会)とは質的な違いがあるということ。大企業は自社の利益につながる支援を優先し、困っている人への具体的な支援は後回しでした。一方、同友会の会員企業に代表される中小企業は、近江商人の「客よし、店よし、世間よし」という観点で地域の復旧、復興に関わりました。

2つ目は情報。今回の震災における全国的な支援の連携は、同友会とくに事務局体制という拠点で情報を整備し現地に流すという連携・システムの存在、受け手である会員のみなさんの意識が高く、地域貢献に対する行動が伴ったからできたことでした。

3つ目は、危機に直面した時の自身に対する志が本物かどうか。よい経営者とは何なのか。これも危機の時に明確になります。

日本再生の基礎となる活動を

安孫子 被災した地域が復旧、復興にむけて事を進められたのは、事務局がしっかりと機能したからです。e.doyuの利用提案は事務局から出され、復興対策を進める上で大きな役割を果たしました。

行政や関係団体との関係においては、地元企業を取り巻く生の情報を伝え、要請するなどの積み重ねにより行政の担当部署の方とも密接な関係を築くことができました。

福島県民はおとなしいという評価が定着しています。しかし、郡山市の東にある三春町は明治維新後に展開された自由民権運動の発祥地でもあるように、情熱と実行力のある県民性があります。

働き盛りの人は県外に避難してしまっている一方で、今年卒業し就職する若者や学生が地元・福島に帰る動きを見せています。若者のためにも、全国の仲間と共に平成の民権思想の発信地として、私ども福島県が新たなる仕組み、モデルをつくり上げて、日本再生の基礎となる活動をしていきたいです。

地域づくりは私たちの手で

吉田 5つの観点からまとめさせていただきます。

1番目は、震災後の地域づくりに関して、今まで軽視されてきたローカル循環を見直すこと。

現代においては、3つの経済循環があります。1つは大企業を中心とした「グローバル循環」で、企業内国際分業という形での経済活動を行います。経済情勢によって地域への軸足の置き方は変化し、地域より自社の利益を優先させます。対極にあるのが「ローカル循環」で、地域・生活圏を基本とした経済循環です。ローカル循環がしっかりしていれば、力のある中堅企業は、基盤を地域に置きながら国内経済の全体の中で分業する「ナショナル循環」へつながります。経済的側面から見た日本の最大の弱点はローカル循環を軽視してきたことにあります。

地域の個性を伸ばし、地域に基盤を置いた企業を育て、豊かな地域内循環をつくることが、持続可能な日本をめざす上での重要課題です。

2つ目は、地域づくりを市場原理主義的に行ってはいけないということです。今回の震災で起こった深刻なガソリン不足は、規制緩和の中でガソリンスタンドや製油所・油槽所が淘汰(とうた)された結果、地域に必要なものを供給することができなくなったことが露呈されたものです。

なぜ被災した3県の同友会型中小企業が、危機的状況の中で迅速な対応ができたのか。本業で特化し、ネットワークを持ち、自由に融通無碍(むげ)に変形して機能できたからです。

同友会トライアングル

3つ目は、「同友会3つの目的」を実現させるために、社員との関係を「労使見解」によって築き、会社の方向を示し、会社を1つにまとめる旗印としての「経営指針」を実践する『同友会トライアングル』をまわすことです。

このサイクルで鍛えられた経営者が同友会の役員層となり、各地域で活躍していたから、震災後は直ちに会社を立て直し、地域の復興を担うこともできました。

4つ目に、中小企業憲章の精神を国づくりに反映させていくことです。

同友会の運動として、国づくりの基本となる中小企業憲章の意義を提唱し、広め、実践していく必要があります。

5つ目に、中小企業憲章を具体的な地域の発展につなげるため、中小企業振興基本条例の制定と実践が必要です。

地域の「中小輝業」に

最後に、同友会の企業は、地域で輝いている「中小輝業」であるという気概と可能性を確信して、地域の中小企業にエールを送る存在になること。その動きを多数派にして、同友会理念、企業づくりの実践を形にすることは、同友会のためだけではなく、地域や日本全体が元気になるための源になるということが確認されたのではないかと思います。

「中小企業家しんぶん」 2012年 4月 5日号より