志のなかに生きる経営者の実像~平時に何を培い 実践してきたか?

【〈シリーズ〉復興―我われが牽引する】

(株)八葉水産 代表取締役 清水 敏也氏(宮城) 宮城同友会気仙沼支部長
(事業内容:水産加工食品の製造販売)
高野グループ 代表 高野 剛氏(宮城) 宮城同友会南三陸副支部長
(事業内容:生コンクリート製造販売・鉄骨加工・運輸・土木建設など)

 東日本大震災から1年半。「復興 我われが牽引する」シリーズとして、中同協第44回定時総会IN岐阜第14分科会での宮城同友会の清水氏、高野氏の実践報告を紹介します。

立ち上がる原動力となったもの

清水 6つあった工場や冷凍施設が全て震災で被災し、本社工場を見た時は絶望感だけでした。

 私が立ち上がろうと思った原動力となったものは2つあります。1つ目は今まで一緒に働いた人のつながり、2つ目は今まで社員の皆に社長と言われていた責任です。

 私は社員に「1年間、失業保険で食いつないでほしい。しかし自分が働きたい会社と出あえたらそちらに行ってもかまわない」と言いました。社員にとって今、何が大切かを考えたときに、私は社員の生活をまず守る選択をしました。社員一人ひとりに事情を説明し、工場が再開したら必ず雇い直すことを約束しました。その翌日から、社員は事務所周辺のがれきの片づけを手伝ってくれ、一緒に汗を流してくれました。私はこの時に改めて、人はつながっているという実感と、人間は1人では何もできないということを強く感じました。

 また同時に、地域の雇用を守り、若者たちが地域で夢を持てる種まきをする必要があると思いました。それで立ち上げたのが「GANBAARE(ガンバーレ)」という帆布製の手堤げバッグをつくる会社です。気仙沼のいろいろな地名をちりばめたバッグで、このバッグを見た時に気仙沼を思い出してもらいたいと思っています。

高野 当社はグループ会社の高台にある1社を残してすべて流失しました。地域の様子を見て「もう町も私の会社もなくなった」と思いましたが、震災2日後に会社を再開させる決断をしました。

 ある社員が「家族や仲間を亡くしたが、会社があったおかげで支えられている」と言ったのです。会社は、守るべきものをすべて失った社員にとって拠り所となっていたのです。

 社員たちと今までずっと、「地域よし風作戦」という道路掃除や老人ホームの落葉拾いなどをしたり、地域の防災に貢献しようという活動をしてきたことを思いだし、社員がいてくれていることと、再確認できた自社の使命と役割が再開の原動力となったのです。

地域復興のリーダーとして感じる中小企業の使命とは

清水 気仙沼市の復興計画のテーマは「海と生きる」です。今、真の復興を目指している中で大切なことは市民・企業・行政が1つになることだと思います。

 私自身の事業も大切ですが、町がなくては自分の仕事も成り立ちませんし、人がいなくては会社や地域は成り立ちません。そして、復興計画を市民と共有していくことが復興の近道なのです。今までの気仙沼の歴史を大切にし、そこにイノベーションをプラスしていくことが、真の復興につながります。

高野 南三陸町は人口が流出し、震災前の約1万8000人から今は約1万人にまで減少しています。高齢者も多く、高台移転問題も深刻な問題ですし、会社の所在地によって操業再開にも差が出たのも事実です。しかし立ち上がれる人から立ち上がらなければ、地域の復興と雇用は守れません。私たち中小企業家が地域に存在してがんばることではじめて雇用が生まれ、地域に人が集まるのです。地域の歴史や文化を次の世代につなげるのも私たちの最大の使命です。

震災後の復興に向けた取り組み

高野 私が一番辛かったのは、グループの1社の社員たちをやむを得ず解雇するという決断をしたときです。他の部門では操業再開の目途が立ちましたが、震災時に約320名のお客様全員の命を守った社員へ解雇の宣告をすることは本当に苦しい決断でした。実際、クビを切られたという思いをもたせてしまった社員は残りませんでした。

 今、町の人口が減っていて、採用募集をしても人が集まりません。わが社では全員正社員で採用しています。地域に残って住んでいる人たちを雇用し、地域を良くするという視点に立てば、やりつづけるしかないと思います。この5年間は仕事があり、忙しいでしょう。しかしその後は、半分か3割にまで減ると予測されます。この5年間で社員を雇用し、業種転換しなければ生きていけません。その準備を始めています。

清水 私が一番大変だったことは、自分のモチベーションを保つことでした。1年後にガレキの片付けが終了し、社員に再開宣言をしたものの、さまざまな問題が発生し、実は不安でいっぱいでした。事務所の泥かきをしながら「自分たちが精魂込めてつくった商品を自分たちで処分する」という苦しい時間を共有し、「もう1度、みんなで笑って仕事ができる日が必ずくる」と語り合いながら、社員が一丸となれたことが、私の心を支え続けてくれました。仕事をする仲間がいることは本当に幸せなことだと思います。

 今年、被災した6つの工場のうちひとつを稼動させました。84名に復帰していただきました。また8月にはもうひとつの工場が稼動をします。こちらは約30名を雇用します。気仙沼には水産工場はたくさんありますが、まだまだ人が集まらない現状があります。今までの労使関係・労働環境・福利厚生、そして将来(未来)が描けるところでないと人は集まらないということを物語っているのではないでしょうか。ですから経営者としての私の仕事は、そういうことを示し、形にすることだと思います。

震災前の取り組みで現在の活動の中で役に立っているもの

清水 震災から1年後の同友会活動は、昼食会を開催し各社の近況報告を出し合いました。「会社や家は無くなってしまったが、社員は俺たちが守っていくしかない」「地域の中小企業が立ち上がらなければ地域の復興はない」と議論を重ねました。2年目には同友会気仙沼事務所を立上げ、地域の復興と、自社の企業づくりについて論議しています。

 同友会の良いところは、経営を超えた仲間づくり、そして「正論は強い」ということです。今回の震災においても、ごまかしたり、横道から入ってくるような企業がたくさんあります。

 しかし、その同友会で学んだ、柱(王道)があると、正論対正論でぶつかることができるために、横槍は入れられません。そういった方々には支援がどんどん集まってくると思いました。自分の道を信じて正しいことをやることが今までの素晴らしい活動だったと思います。

高野 6年前、自分が同友会で経営指針を成文化し、実践し続けられたからこそ今回の震災で社員、お客様の命が救えたのだと思います。指針を成文化するプロセスの中で自分と自社を見つめ直し、将来を想定してきたことが今のわが社を救ってくれたのだと実感しています。だからそれを社会的な使命で返したいとも思っています。

 復興はものをつくるだけではありません。自社だけでなく、周りの中小企業がよくならなければ、真の復興にはなりません。社会的使命を果たし次の世代へつなげるのが今後の私の仕事です。

今後の方向性

清水 復興のキーワードは「人づくり」です。地域住民一人ひとりにはかけがえのない役割があり、力をあわせることが真の復興への近道だと思います。

 わが社では、毎朝朝礼をやっていますが社員の顔を見ると元気がでます。そして仕事ができる喜びがあります。「美味(おい)しい味をつくりつづける。この味を未来に残す。この味をつくる風景を守る。この味をつくることに正直に向き合う。美味しさづくりが復興に役立つことを信じて続けている」これが私たちの仕事です。

高野 みなさんからよく、「私たちが被災者の立場だったら立ち上がれないと思います」と言われることがあります。しかし私たち日本人なら必ずできます。人間はこの状況でもみんなで協力し、みんなで繋(つな)がることができるのです。

 この震災で亡くなった人たちはたくさんいます。地域では操業再開の目途がたたず、会社をたたむ選択をした企業もあります。しかしそれでは私たちは何のために経営者になったのかわかりません。経営者がいついなくなっても、会社が生きていけるような経営をしなければならないのです。私は中小企業家として地域の仲間、同友会の仲間と手をつなぎ必ず復興します。

「中小企業家しんぶん」 2012年 9月 5日号より