家業から企業へ~成熟市場でも成長し続ける~(株)イシカワ 代表取締役石川 大樹氏(栃木)

何もないところからのスタート…

 今から40年前、私の父はIC店としてダスキンを始めました。IC店とは小額資本で始められる加盟形態です。資本が少ない分仕切りがFCより10%高い。つまり10%利益が少ないということです。

 ダスキンはストックビジネスです。ストックビジネスでは仕入れが先行しますので、新規の注文をいただくとその4倍分を前もって仕入れておかなければいけません。売り上げが上がるほどに資金が必要になり、資金ショートを起こします。父はその分を稼ぐため保険の外交をしながらしのいでいました。

 私は28歳でこの会社を引き継ぐことになりましたが、当時のわが社は社屋と呼べるものもなく、叔父の自宅の片隅を使っていました。感熱式のFaxが複合機替わりでしたので、大事な文字が消えてしまいます。更に社会保険どころか、雇用保険も労災もなかった状況でした。

 「何かあったら大変だから労災だけでも入ったら」と商工会の方に言われても、「お金がかかるから」という理由で断っていたようでした。

 さらに当時は月商が800万円位だったのですが、半分の400万円は要整理対象のお客様からのものでした。そのうち200万円は1社との取引でしたが、入金はいつも3カ月遅れでした。月商800万円の会社が常に600万円の負債の危険をはらんでいるということです。私は共倒れを恐れて取引中止を申し出ました。先方もすぐに承諾してくれたのですが、これだけで売り上げは25%ダウンしました。しかし、3年後その会社は民事再生法を適用されて今も再建中です。もしそのまま継続していたらわが社はなかったかもしれません。結局、要整理対象の顧客との取引は全てなくなりました。

 そこから、私の経営が始まりました。まず社員を保険に加入させました。そして1社に大きく依存する体質を避け、小口の仕事をたくさん取ることで経営に安定感を出し、社員が毎年昇給できるようにしたいと思っていました。

 しかし、わが社のある那珂川町は人口の3~4%が毎年減り続けていて、限界集落が懸念されている町です。顧客を増やすのは容易ではありませんでした。

市貝店開設

 そんな時に転機が来ました。市貝町のダスキンのオーナーから、「跡継ぎがいないのでうちの店を引き継いでもらえないか」という話があったのです。

 父が懇意にしていたこともあり、M&Aで引き受けることになりました。市貝町は宇都宮市の衛星都市で人口が減少しない町でした。しかし、実際に引き継いでみると内情はひどいありさまでした。

 営業社員5人のうち3人が使い込みをしていて、検品はルーズ。不正は皆で見て見ぬふりをしていたので、クレームがあっても社長まで届かない。ルールも責任もない、企業と呼べる状況ではなかったのです。

 当時市貝店は月商400万円でしたが、毎月1万円ずつ売り上げを落としていました。落ちるべくして落ちていたわけですが、使い込みや不正のできない、風通しのよい環境づくりを行ない、1年程で売り上げの減少を止めることができました。

 「若造だと思っていたけど、この社長は信用してもいいのかな」と社員の目が変わってきます。するとだんだん雰囲気が良くなって、売り上げもプラスに転じていきました。

リーマンショック…家業から企業へ

 私が父から会社を引き継いだ時、父は株取引で資産を増やしていました。すんなり私に会社を譲ったという背景には、株取引で得た潤沢な老後資金もあったようでした。

 しかし、その後訪れたのがリーマンショックです。証拠金取り引きをしていた父は暴落の憂き目にあい、自宅まで競売に出されそうになる騒ぎでした。

 父からの要請で、帳簿上にあった父からの借入金を返済することになりましたが、資金がないため借り入れを起こさなければならず、会社にとっては大きな負担となりました。「実際そのお金があれば、社員の福利厚生や設備投資に回せたのに」と思いますが、父にしてみれば「会社は俺のモノ」。だから、「会社の資産も俺のモノ」なのです。

 この考え方を変えないと企業にはなれない、家業じゃなくて企業にならなきゃダメなのだと強く思いました。

宇都宮店開設へ

 ダスキンは成熟産業です。一言でいうと既存店売り上げが伸びません。一生懸命頑張っても売上はプラス1%、利益は減少ということがままあります。

 このままでは会社に未来がないと思っていた時、舞い込んできた事業がクリクラ(ボトルウォーター)でした。ローリスクの上に、自社のノウハウを生かせる仕事でしたのですぐに取り組み、今では栃木県内で2番手の売り上げにまで成長しました。

 その後、宇都宮でダスキンをやっているオーナーから、「よかったらうちの会社をやってくれないか」と言われました。この会社もIC店からスタートして、父が世話になった会社でした。その2代目の方に私もずっと世話になっていました。親子2代で世話になっていた人でした。

 その方から「今、この会社を信頼して任せられるのは石川君しかいない」と言われました。正直涙が出そうになりました。自分に任せたいということは、スタッフの雇用の維持が第1だったのだろうと思います。そこを信頼されたのがうれしかったのです。

 当社としては営業の足がかりとしても宇都宮は絶好の場所でしたので、願ってもないM&Aとなりました。

経営者として心がけてきたこと

 私が今まで経営者として掲げてきたことは、第1に未来志向であることです。

 わが社には現在、70名の社員がいます。一番若い社員は28歳です。彼のことを考えたら、30年先を見せてあげなければなりません。経営者として、社員に未来を見せられないということほど残念なことはないと私は思っているので、みんなでよくなろうと語り合っています。

 私はよくホラ話をします。最初の頃はいつも、「売上を倍にするぞ」と言ってきました。12年かかりましたが現実になりました。今は、「10年後までにさらに倍にするぞ」と言っています。現在は社会保険も完備できたし、少ないけどボーナスも出せるようになってきました。

 ホラを吹くのは簡単です。でも、ホラを吹いたら必死に努力し、真剣にそこに向かっていくことが大切だと思っています。

 第2はぶれないこと。ぶれると信頼を失います。言っていることが度々変わると社員は腐ってしまうのですね。だから30年先の姿を思い描きます。今日や明日の売り上げに翻弄されると優先順位が変わってしまう。なるべく未来を思いながらやっていくことがぶれずに済むポイントかと思います。

 わが社は父が脱サラしての創業でしたので、子どもの頃のわが家はとても貧乏でした。私は保育園に無料で通っていました。親の収入が少ないからです。しかし、私の母親は、この保育園にダスキンの集金に行くのです。とてもみじめだったと後に聞きました。

 もっとも、自分も子ども心に貧乏が分かっていましたので、親からお金をもらう時はいつも申し訳ないと、たとえ学校などで必要なお金であっても思っていました。そんな思いが私の心の奥底にあるので、「うちの70人の社員には絶対にそんなみじめな思いをさせまい」という思いを心に刻み、経営しています。

 私が同友会で学んできたことは、「社員とともに幸せになる」ということです。これからも同友会で学び続けて、会社も社員も、私自身も一緒に成長して、一緒に幸せになっていきたいと思っています。

(第45回青年経営者全国交流会・茨城報告集より転載)

(株)イシカワ 会社概要

設立:1989年
資本金:300万円
従業員数:70名(内パート・アルバイト62名)
事業内容:ダスキン・クリクラの加盟店
URL:http://yamizo-ishikawa.com/

「中小企業家しんぶん」 2018年 7月 15日号より