『同友会運動の発展のために』から学ぶ 第6回

第1章 同友会理念について

第一節 同友会理念とは

(前回の記事)

4、同友会理念はどのように形成されたか

(1)同友会の前身である全日本中小工業協議会(全中協)が掲げた理念(1947年)

 第2次世界大戦で廃墟と化した日本列島。戦後復興の担い手としてたくましく立ち上がったのは中小企業でした。当時は、占領軍による民主化政策が実施され、日本国憲法のもとでの新しい国づくりが進められました。

 他方では、極端なインフレの進行、大企業に偏重した「傾斜生産方式」による資材、資金の不足が中小企業経営を困難におとしいれ、さらには重税にも苦しめられました。

 1947年に結成された同友会の前身となる全日本中小工業協議会(略称=全中協、のちに全日本中小企業協議会と改称)は、「中小企業こそ日本経済の主人公」との自覚と使命感を持ち、「中小企業は平和な社会でこそ繁栄できる」との確信のもと「自主的な中小企業運動」を提起しました。「従業員の人格を尊重し生活を守り、協力して企業を発展させる」ことも方針に掲げたことは、後の「中小企業における労使関係の見解(労使見解)」へと発展しました。

(2)日本中小企業家同友会の創立と基本理念の形成(1957年)

 全中協はその後、日本中小企業政治連盟(中政連)が提唱する「中小企業団体法」制定運動の評価をめぐり意見が対立、「中小企業の過当競争は1片の法律で解消するものではない」「戦前の官僚統制へ道を開く危険性がある」として自主性の堅持を主張する人たちが、日本中小企業家同友会(現東京中小企業家同友会)を創立(1957年)しました。

 設立趣意書で本会は「中小企業家の、中小企業家による、中小企業家のためのものである」ことをうたい、「天は自ら助くるものを助く」の自覚でのぞむことを宣言しました。会運営においても民主的運営を貫き、他団体との協力、提携、かつ「政治的には特定の党派に偏することなく」進めることを明記しました。

 全中協以来の優れた伝統を継承しつつも新しい時代にふさわしい中小企業運動の基本理念―自主・自立の精神と民主的運営の徹底―が込められており、その後、確立される「3つの目的」などの同友会理念の基礎となる内容です。

(3)中小企業家同友会全国協議会(中同協)の設立(1969年)により、同友会運動の基本理念と活動方針を確立する1970年代

 1969年、東京、大阪、愛知、福岡、神奈川の5同友会と2準備会(北海道、京都)により中同協が設立され、東京に同友会運動のセンターとなる中同協事務局が置かれ、同友会運動は急速な広がりと深まりを見せます。まず、数年間の論議を経て、「同友会3つの目的」が制定されました(1973年、中同協第5回定時総会・愛知)。運動の方向が成文化されたことは具体的な活動内容に大きな影響を与えることになります。

 1974年の第4回中小企業問題全国研究集会(長崎)では折からのオイルショックのさ中、「決して悪徳商人にはならない」声明を発表、のちに明文化される「国民や地域と共に歩む中小企業をめざす」同友会理念の原点となりました。

 1975年には10数年にわたる労使問題の論議と実践の成果をまとめた「中小企業における労使関係の見解(労使見解)」を発表、労使の信頼関係の確立こそ中小企業が発展する原動力となることを明らかにしました。(詳細は『人を生かす経営』を参照)

 さらに、1977年、中同協第9回定時総会(神奈川)では、「経営指針を確立する運動」を提唱。1979年、第11回定時総会(北海道)では、経営指針(理念、方針、計画)確立の運動は、「3つの目的」実践の課題であり、「労使見解」の具体的発展と位置付け、全会員に作成を呼びかけました。

 1981年、第13回定時総会(兵庫)では、経営理念は、科学性、社会性、人間性の3つの要素が必要と提起されていきます。このように、1970年代は、同友会運動のセンターが確立されたことにより、全国の実践にもとづく論議が展開され、運動の方向を指し示す「3つの目的」が制定され、企業づくりのあり方を示す「労使見解」の発表と全会員へ経営指針作成とその実践を呼びかけるという今日の同友会運動の基軸が構築される時代でした。

(次回に続く)

「中小企業家しんぶん」 2016年 10月 5日号より