【シリーズ 東日本大震災から8年】「人間が取り扱う資格があるのか」原発事故の現状をみる(1)【福島】

 福島同友会環境委員会では、1月25日に「東日本大震災当時を振り返り、原発事故の現状をみる」ことを目的に、東京電力福島第1原子力発電所の視察会を行い、24名が参加しました。「福島」だけの問題にせず、中小企業家として、同友会としてこの現状をどう考え、未来につなげていくべきか、本紙では視察レポートを2回に分けて掲載し、皆さんと一緒に考えていきます。

 2万2,000人を超える死者・行方不明者(関連死含む)を出した東日本大震災から8年、いまだ5万4,000人ほどの避難者(昨年12月時点、復興庁調べ)がおり、そのうちの8割が福島県民です。

 震災による原子力災害は、福島の復興の重い足かせとなっています。

ふるさとが失われた帰還困難区域

 中古車センターに展示された車には、値札が付いた状態でつたが絡まり、倒壊した家屋も、あのときのまま。「帰還困難区域」には検問ゲートが設けられ、復興どころか、立ち入りがいまだに制限されています。原発の安全神話が崩れ、いったん事故が起きたら、広範なふるさとが失われてしまう現状に胸が痛みます。

 視察に向かう一行は、福島いわき市のワンダーファーム・森のキッチンに集合し、視察全般の説明を受けてバスで東京電力廃炉資料館へ。東電職員から事故処理の様子や視察の行程などの説明を受けたあと、壁面から床にまで投影される巨大なビジョンによる「福島第1原子力発電所は今」という東京電力(以下、東電)の反省と事故対応の現状の映像に圧倒されます。その後、東電の準備したバスで帰宅困難区域を抜けて、第1原子力発電所に向かいました。

 原発近くでは広大な中間処理場に次々とトラックが往来し、汚染された土壌などを運び込んでいました。田畑には柳科の木々が生い茂り、小高い丘のある地域は除染しきれず、いまでも5マイクロシーベルトの高い線量となっています。

撮影禁止、線量計着け事故現場へ

 撮影は一切禁止。廃炉資料館から先はペンとメモ用紙の携帯が許されるだけですが、原発敷地内では空港より厳重なボディチェック。防護服やマスクの着用もなく、線量計を首から提げ、さらに線量計などの説明を受け、安全であることが強調される中、原発構内専用バスに乗って出発。「ご安全に」と声をかけられることに、少々不気味さを感じます。

 核物質除去設備の横を通り、見えてきた1~4号機はテレビの映像で感じていた姿とは、まったく違う迫力で目の前に迫ってきました。震災当時稼動していなかった4号機や、水素爆発した1号機と3号機は、ガレキが除去されつつあります。線量が一番高いといわれる2号機は、使用済み燃料プールからの燃料取り出しに向けた内部の調査や片付け、デブリの調査などを行っていました。建屋にペイントされた青い空はすすけた色になっていました。

 廃炉にかかる費用は年間約2,000億円とのこと。原発の廃炉までに30~40年としても、いずれの廃棄物も最終処分はめどがたっていないのです。いずれの原発も核廃棄物は蓄積される一方で、とてもコストが安いとは思えません。

2号機と3号機の間を通る

 その2号機と3号機の間をバスが通り抜ける瞬間、線量は257マイクロシーベルトの最高値に。50分ほどの視察中の被曝線量は「歯医者さんで歯のレントゲンを撮る程度」と繰り返されますが、放射能の違いなどもあり、不安がよぎります。

 1日4,250人(昨年12月)が働いており、構内に山積みとなっている使い捨て作業着などの入った5万個の保管庫や汚染水のタンクの多さに圧倒されます。

 原発を通り過ぎるとそこはすぐ海。あまりにも近く、低く、津波が来ればひとたまりもない位置に原発が並んでいたことを思い知らされます。

 さらに、原発の海側には津波で流され、1基分陸側にずれた重油タンクが並び、少し離れた西側の高台に建っている事務管理棟は、1~4号機の廃炉を優先するため、水素爆発でガラスが吹き飛んだ窓はベニア板で養生されていました。

*行程は視察マップ参照


(次号に続く)

中同協 事務局長 平田 美穂

福島第1原子力発電所の視察報告

すべてを一瞬にして奪いさった事故の重大さ風評・差別を取り払うことこそ真の復興

福島同友会環境委員長 林 英幸

 今回、福島同友会環境委員会の主催で原発事故の起きた福島第1原子力発電所の視察を実施しました。

 目的は福島同友会の会員はもとより、全国の同友会の災害・環境関係の皆様を対象に福島県の現状を見て感じて頂きたく企画しました。

 東日本大震災における福島県は、地震・津波・原子力発電所事故・風評被害と4つの災難が1度に起こった世界でも類を見ない災害を経験しました。現在も復興から創世へと着実に歩んでいるものの、原発事故および風評被害については現状でも先の見通せない負の環境となっております。

 福島第1原子力発電所は事故後の約8年間、廃炉作業に向け1日に約4,250人の作業員が必死で働いています。それでも廃炉までには約40年余りの時間を要するのは原子力事故による放射線の要因がほとんどです。目に見えない放射線という障害が作業員の健康をむしばみ続けています。

 今回の視察中、最も放射線量が高かった場所は2号炉と3号炉間の通路で毎時257マイクロシーベルトという高線量、除染基準値(毎時0.23マイクロシーベルト)の約1,000倍。一般公衆の年間被曝限度1,000マイクロシーベルトをわずか半日で超えてしまう場所もありました。

 また、廃炉費用は全体で8兆円を見込んでいます。原発敷地内ではいまだ優先順位により震災当時の構造物がそのまま放置され、爆風で窓ガラスが全て割れたままの棟、津波に流された燃料タンク、原子炉建屋の折れて錆びれた鉄骨など、事故当時の様子がそのまま残る光景もあります。

 さらに衝撃的な風景は原発周辺の「帰宅困難区域」に入ってからの時間を止めたままの誰も住めない街並み。広範囲の環境災害であり、地域の住民すべての人生を一瞬にして奪いさった事故の重大さを目の当たりにしました。

 最後に原発事故による風評はいまだ大きく、県民・経済にも差別的扱いが風評として根強く残っています。農作物も放射性物質の全品検査を行っていますが「福島県産だから怖い」という他県民の意見も聞かれます。このような風評・差別を取り払うことこそ真の復興と考えます。

「中小企業家しんぶん」 2019年 3月 5日号より