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【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第1回 戦後復興期(1945~55年)の中小企業問題 NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 本年1月から9月まで「中小企業を考える」を連載し、「中小企業は発展性と問題性の統一物」であることを理論的に明らかにしました。今回から中小企業のこの2つの側面が戦後の中小企業史でどのように現れ、現在どのような状況に到達しているかを述べます。

政策による中小企業問題

 敗戦後、生産再開の遅れた大企業を尻目に、中小企業は生活必需品の生産で経済活動の中心となり、「時代の寵児」と呼ぶ新聞もありました。しかし、政府が産業復興のため、鉄鋼、石炭、電力、海運などの重点産業に資材、資金を集中する政策をとったため(1947~48年)、中小企業は資材難、資金難という「経営資源問題」に見舞われました。続いて、49年には昂進していたインフレの一挙終息のために超デフレ政策がとられ、市場は劇的に収縮、この「市場問題」で大量の中小企業が閉鎖されました。

 1947年春ころから民需転換を始めた大企業は、50年に勃発した朝鮮戦争特需と輸出増で急速に復興しました。また、「朝鮮特需」の恩恵を受けられなかった中小企業を下請化し、優良中小企業に対してはあたかも自社の内部組織のごとくに結びつけを強める「系列化」も実施し、中小企業を自己の生産過程に直接組み込みました。

 このような大企業の復興により日本は55年に1人当たりのGNPが戦前水準を突破するなど戦後復興を達成しましたが、それは中枢産業の巨大企業を筆頭とする大企業セクターが国民経済を支配・主導する大企業体制の再構築でもありました。

 中小企業問題は政策によるものから、大企業体制復活によるものへと展開します。

収奪問題

 まず、大企業が中小企業に強いる不利な取引による収奪が激しくなりました。戦前は前払いが多かった大企業による下請代金支払の遅延が著しくなり、商習慣化してしまいました。また、大企業の販売、購入寡占による「原料高・製品安」が発生しました。事実上の不況カルテルである通産省の勧告操短(綿紡績、薄板など)による価格引き上げ、安値輸出価格の穴埋めとしての国内価格つり上げ(綿糸、亜鉛引き鉄板など)による「原料高」。中小企業の激しい競争を利用した商社、外国商人の買いたたき、中小企業の資金難による投売り、親企業の加工単価切り下げなどによる「製品安」です。こうして、中小企業の相対価格(販売価格/仕入価格)が低下し、中小企業の生産した価値が奪われました。

経営資源問題

 中小企業は収奪により内部資金を蓄積できません。そこで銀行に頼りますが、銀行を中核とする旧財閥系グループの復活で、銀行融資はグループ企業をはじめ大企業に集中したため(融資集中機構の形成)、中小企業は借入難にも襲われ、当時、「金詰まり」と呼ばれた深刻な資金難に陥りました。

市場問題

 中小企業は朝鮮特需の恩恵を受けることがなかったうえ、復活した大企業の中小企業分野への進出で市場を奪われました。たとえば、中小企業分野だったマーガリン、石鹸、清涼飲料、製パン、ビン製造などへの大企業進出で、中小企業が激減しました。

大きな企業間格差、二重構造問題

 日本では戦前から豊富な低賃金労働者を基盤に多数の中小企業が発生、過当競争に陥り、近代化が遅れていました。敗戦後も、軍需工場の全面閉鎖、復員・引揚者などにより推定1,300万人もの過剰労働力が発生、それを基盤に小資本での開業が続出、乱立状態に陥りました。このため、中小企業の大企業に対する取引力、競争力は弱く、ほかの先進国以上に中小企業問題が深刻化し、大・中小企業間に大きな格差が形成されました。アメリカでは従業者500人以上の事業所を100とした1~19人の事業所の賃金は70.9、付加価値生産性は73・8(1958年)だったのに対し、日本では37.5と32.6(同)でした(中小企業庁編『中小企業白書1970年度版』第1―1表)。

 このように近代化した大企業の一方、前近代的な中小企業が多数存在する状況は、1950年代後半に入り日本の二重構造問題と呼ばれました。

「中小企業家しんぶん」 2021年 11月 15日号より

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