【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第6回 高度成長期(1956~73年)の中小企業経営:その2 NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 「戦後中小企業史」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第6回目は「高度成長期(1956~73年)の中小企業経営:その2」です。

「高能力型零細企業」の出現

 前回は高度成長期の「代表的発展中小企業」として「量産型中小企業」について述べました。この時期にもう1つの「代表的発展中小企業」が零細企業から生まれました。

 本連載第4回で述べたように高度成長期には日本で初の労働力不足が発生、特に60年代後半に深刻化しました。大企業は下請企業の技術水準向上で外注依存度を高めていましたが、下請企業も労働力不足から受注余力は小さく、技術力があれば零細企業にも発注が殺到し、零細企業は有利な取引ができました。この状況をみて、意欲ある中小企業労働者が独立開業し、零細企業が急増しました。その中にはかつてのように低賃金や自己搾取的な労働を基盤としない、「高能力型零細企業」が含まれているのが注目されました。

「高能力型零細企業」の特徴

 その第1の特徴は高度化する要求に対応できる技術力を持っていることです。零細企業主の多くは同業中小企業出身であるため、この時期の中小企業の技術水準の上昇が、高度な技術力を持つ零細企業主を生み出しました。

 第2の特徴は能力発揮型の開業動機です。「高能力型零細企業」の担い手の多くは既存中小企業で経験と技術を積み、「能力の発揮」を動機として独立した20歳代、30歳代の若い人たちであり、働き口がなくやむをえず開業した潜在失業者型の経営者とは異質でした。

 「高能力型零細企業」にはいくつかのタイプがあり、そのなかでも独創的な各種産業機械などを多品種少量生産する「独創的製品型」と、消費者向けの多様な差別化製品(ファッション製品など)の生産や専門技術で特殊な金属加工などを行う「高加工度品型」が注目されます。これらのタイプはともにユーザーに密着して得た「場面情報」(需要情報)と生産現場で発生する「場面情報」(技術情報)を基に価格形成力を持つ差別化された製品・技術を開発、「独自市場」の構築に成功しました。「量産型中小企業」より規模は小さいですが、優れて企業家的性格が濃く、零細企業からの「企業家的中小企業」の発生と言えます。

中小企業発展の異質性

 2つの「代表的発展中小企業」のうち、「量産型中小企業」は輸出軽機械工業に始まる中小企業の大量生産化を完成させるものであるのに対し、「高能力型零細企業」の上記2タイプ(「独創的製品型」「高加工度品型」)は、需要と技術の双方に関し優れた開発力を持っているのが特徴で、1970年代半ば以降に増える「開発志向型中小企業」の先駆けと言えます。また、「量産型中小企業」の多くは下請企業として大企業に従属的で、大企業への経済力集中を補強するのに対し、「高能力型零細企業」は経済力を分散させる機能を持ちました。しかし、両者のうち、経済の中枢近くに位置していたのは「量産型中小企業」であり、「代表的発展中小企業」の主流となりました。したがって、この時期の中小企業の発展は大企業従属下での発展と概括できます。

中小企業の役割

 日本経済は労働力不足に転換し、中小企業の過剰労働力吸収という役割は終わりました。また、大企業の重化学工業製品の輸出が急伸したため、中小企業は輸出の主役からも降りました。それとともに、中小企業は「量産型中小企業」に代表されるように、大企業への部品サプライヤーなどとして大企業を下支えするサポーティング・インダストリーとしての役割にまわりました。典型が自動車工業で、わが国自動車メーカーの外製比率は70~80%と高く、その外製部品のかなりの部分は中小企業が担いました。そのため、下請中小企業が相互に激しく競争しつつ、大企業のコスト低減、品質向上の要求に応えたことが、自動車の国際競争力を高めました。

 一方、戦後復興期に期待された経済民主主義の担い手という中小企業の役割はさらに後退しました。中小企業は下請企業として大企業への経済力集中を補強したと言えるからです。

「中小企業家しんぶん」 2022年 2月 15日号より