【黒瀬直宏が迫る 戦後中小企業史】第10回 減速経済期(1974~90年)の中小企業経営(2) NPO法人アジア中小企業協力機構 理事長 黒瀬 直宏

 「戦後中小企業史」をテーマにした黒瀬直宏氏(嘉悦大学元教授)の連載。第10回は、減速経済期(1974~90年)の中小企業経営(2)です。

 前回は減速経済期の代表的発展中小企業である「開発志向型中小企業」の4タイプを紹介しました。これを踏まえて、この時期までの中小企業発展の到達点をまとめてみます。

中小企業発展の到達点

 「開発志向型中小企業」は「開発補完型」を含め自前の技術を蓄積し大企業と並ぶ技術の専門性を獲得しており、この技術面での自立化が「開発志向型中小企業」共通の特徴です。さらに「専門加工業型」「製品開発型」「ベンチャー・ビジネス型」の多くが個々の顧客に密着する能動的な需要開拓も行い特定販売先への依存度の低い「独自市場」を構築した結果、価格形成力を獲得しました。こうして「企業家的中小企業」が増え、減速経済期は戦後中小企業の企業家的発展が最も強まった時期となりました。

 とはいえ、「開発志向型中小企業」で多数を占めたのは「開発補完型」です。このタイプは技術面では自立化してますが、販売面では特定親企業への依存を脱するに至っていないため、価格形成力を獲得できず「半企業家的中小企業」と言えます。

 したがって減速経済期には「企業家的中小企業」が増えたものの、中小企業発展の到達点を概括すれば技術面での自立化市場面での大企業依存ということになります。

サポーティング・インダストリーとしての高度化

 中小企業の役割に目を移すと、サポーティング・インダストリーとしての機能は一層高度化しました。機械工業について見ると、従来親企業は自社を生産補完する「分工場」として下請企業を位置づけ、下請企業の特定加工技術への習熟や自社との賃金格差によりコスト安を実現しました。この時期により重要になったのは親企業に設計提案するなど親企業の製品開発や加工の効率化に役立つ専門的情報の創出でした。その役割を担ったのは「開発補完型」の下請企業で、もはや安く利用できる「分工場」ではなく、専門情報を持つ「技術者」が役割を果たすことになりました。これとともに日本の下請分業の効率性はさらに高まり日本の系列的下請分業関係は終身雇用・年功序列・企業内組合と並ぶもう1つの日本的経営として、強力な国際競争力の源とみなされるようになりました。

地域経済の担い手

 この時期中小企業は地域経済の担い手としても注目されることになりました。画一化した生産・生活様式大規模工場による公害問題など重化学工業化の負の側面が明らかになり、生活の質、福祉環境といった個人や地域に、密着した視点からの価値観が高まりました。また、高度成長期に縮まった所得の地域間格差の再拡大、構造不況下の企業城下町問題、大都市インナーシティー問題など地域問題も発生しました。こうして地域への関心が高まるとともに、地域に密着している中小企業こそが地域の問題を解決し、地域を発展させる担い手として再評価されるようになりました。現に電気機械や繊維系製造業の中小企業が地方に進出し、地域の雇用を創出するなど地域経済の発展に寄与しました。

 しかし地方進出中小企業は大企業の下請で自立性がなく、下請企業としても開発補完能力を持つ企業は少なく、発展途上国との競争力はありませんでした。この問題は減速経済期には顕在化しなかったですが、1990年代以降これらの中小企業は東アジアとの価格競争に敗れ、大企業の地方工場の閉鎖とともに地域の産業空洞化の要因になってしまいました。また、都市部の既存中小企業は地方の中小企業より開発志向化を進めていましたが、市場面での自立性に欠ける場合が多かったため、やはり1990年代以降力を弱めました。

 中小企業は確かに地域経済を担うべき存在で、これが実現されれば中央の大企業に経済力が集中するのを避けられ経済民主主義も進みます。しかしその期待に応えるだけの力はまだなく、この時期の「地域経済の担い手としての中小企業」は理念先行でした。

「中小企業家しんぶん」 2022年 4月 15日号より