連載【中小企業を働きがいのある職場に】 
地域の共通財産家をめざす全員参加経営の菓子工房(前編) 
(株)菓子工房COCOイズミヤ 代表取締役 庄司 薫氏(山形)

 黒瀬直宏・嘉悦大学元教授(特定非営利活動法人アジア中小企業協力機構理事長)が、中小企業の働きがいをキーワードに魅力ある中小企業を取材し、紹介する本連載。今回は、(株)菓子工房COCOイズミヤ(庄司薫代表取締役、山形同友会会員)の取り組み(前編)を紹介します。

旬の素材による手作り洋菓子

 COCOイズミヤは手作りの洋菓子工房です。売上構成は、ケーキ60%、焼き菓子30%、パン類、カフェが10%です。高畠町は果実や野菜が豊富な地で、地元の農家が直接届けてくれる初夏のさくらんぼ、夏のもも、ぶどう、えだまめ、秋のりんご、ラ・フランスなどが、社員の手により見事なお菓子に変身します。旬の素材を使うため、バースデーケーキの定番素材のイチゴも、夏は味が落ちるので使いません。栗はよいものを社員みんなで拾っています。高畠の大地の恵みをお菓子に変えるのがイズミヤの仕事です。

 101年前、高畠町で創業したイズミヤは、2024年4月26日、同じ高畠町の3600平方メートルの広大な敷地に屋久杉など木材をふんだんに使った平屋建ての店舗をオープンしました。コロナ禍に見舞われる中、社員一同の、メルヘンの世界を思わせる新店舗建設の夢を5年かけて実現し、新たな発展に踏み出したところです。しかし、ここまでの道は平たんだったとは言えません。

1923年(大正12年)和菓子製造をスタート

 庄司氏の曾祖母が職人を雇って「和泉屋」を創業、和菓子の製造を始めましたが戦争で事業は中断します。戦後、曾祖母、祖母、父、結婚で加わった母の4人と菓子を作りたいと入ってきた住み込み社員2人の計6人で和菓子を作り、近辺の商店に卸しました。住み込み社員も風呂に一緒に入るなど寝食を共にしていましたが、2人ともこれからは洋菓子の時代だとして、東京へ洋菓子の修行へ。うち1人は六本木のフランス人経営の有名店でトップの作り手になり、実家のある山形県への帰省時にショートケーキやタルトの作り方を父に伝授してくれました。これがきっかけで、和泉屋も洋菓子へ転換することになりました。1971~72年、庄司氏10歳ごろのことです。庄司氏は洋菓子の味に魅せられ、自分もこんなにおいしいものを作りたい、父母を手伝いたい、みんなで経営を盛り上げたら楽しいと強く思いました。菓子作りの楽しさと全員で頑張る楽しさ、子どもの頃のこの思いが庄司氏の原点です。

家族の分裂と再結集

 庄司氏は高校卒業後、都内の洋菓子店で3年間修業を積んでいましたが、父の頼みで、1980年故郷に戻りました。修行を積んでいた弟も戻り、父と弟が経営の中心となりましたが、父と弟が不仲となり、弟は出ていきました。弟を応援していた庄司氏も追い出され、子どもを育て家族みんなで仕事することを夢見ていた母も父を非難、2人は離縁し、母は妹を連れて家を出ました。庄司氏は1987年に結婚しましたが、ほとんど同時にこのことが起き、不本意ながら以後6年間専業主婦を務めることになります。

 父は人を雇い頑張っていましたが、家族と徐々に和解、庄司氏は3時間のパートとして復帰しました。子どもが学校から帰るため昼には帰宅していなくてはならず、母も離縁したまま父の手伝いに戻り、妹も戻りました。家族の再結集は、家族愛だけでなく共に労働する者同士の絆があったからだと庄司氏は言います。

 庄司氏は自分の作ったケーキが売れるのを楽しみに、手伝いを12年間続けましたが、また危機が起きました。父ががんで入院、妹は出産、庄司氏も病気入院、母は製造のスキルはなく、休店を余儀なくされ、半年たち「イズミヤはつぶれた」との風評が立ちました。

法人化と苦難の社長業

 そこで、借り入れで店をリニューアルすることになり、父の意向で庄司氏個人が国民金融公庫(現日本政策金融公庫)から借りようとしましたが、貸せるとすれば事業を法人化し庄司氏が社長になる場合だと言われました。こうして、「和泉屋」は2006年「株式会社菓子工房COCOイズミヤ」として法人化し、庄司氏が代表取締役に就任しました。

 しかし、社長に就任したものの、経営者に必要な能力を身に付けていませんでした。2008年に勧められるままに山形県中小企業家同友会に入会します。経営指針の意義もわかりませんでしたが、例会で報告者が、「球児が甲子園出場という目標のもとに全員一致して努力するように、経営者は全社員が共通の目標に向かって進むようにリードしなくてはならない」と話したのを聞き、経営者という存在に感動を覚えました。ちなみに当時のイズミヤには売上目標すらありませんでした。

 そこで庄司氏はみんなが力を合わせられるよう経営理念を作成しましたが、家族は、職人はいいものを作りさえすればよいのだと、経営理念を作成すること自体に意義を認めません。庄司氏はせっかく家族が再結集したのに、自分のやり方を通すことでまたバラバラになるのを恐れました。イズミヤに入社した人も、家族がバラバラなので嫌気がさして短期でやめることが繰り返されました。庄司氏は家族の気持ちも理解できるが、企業は職人の単なる集団であってはならないという経営者としての思いが勝りました。そこで、同友会の経営指針セミナーに参加し、経営計画書を作成しました。これで自分の考えの基盤ができ、ぶれることはなくなりました。庄司氏は経営者の役を負わされたこと、同友会で勉強したことで自分が変わったのだと振り返ります。

会社概要

設立:1923年
事業内容:菓子製造販売、カフェ
従業員数:10人(内パート3人)
URL:https://www.cocoizumiya.com/

(後編につづく)

「中小企業家しんぶん」 2024年 9月 5日号より