講演録

ヨーロッパ中小企業憲章とEUの中小企業政策

「“期待”するだけなく、問題の解決を」と中小企業者団体も運動

雇用問題と市場統合をターゲットにEC・EUの中小企業政策がスタート

 ヨーロッパでは、中小企業憲章が制定されるぐらいなのだから、中小企業に関心が高く、立派な政策があり、その到達点として憲章が採択されたと思われるかもしれませんが、実は必ずしもそうではありません。中小企業という存在に関心が持たれるようになったのはわずか20年前です。その前は、手工業保護政策のようなものしかありませんでした。これは、中世のギルドに起源があり、日本でいえば伝統工芸産業のようなものを保護しようというもので、そうした政策は長い歴史がありました。

石油ショックがきっかけ

 それが、1970年代に変わってきた。そのきっかけは、1973年の石油ショックのあと、ヨーロッパ経済がなかなか立ち直れず、どうしたら良いのかという模索の中で、それまで中小企業を無視し過ぎていたという反省が各国に起こってきたことでした。

 政策の転機としては、1983年にEU(欧州連合)の前身である当時のEC(欧州共同体)が、「欧州中小企業とクラフト産業のための年」と定め、いろいろな行事を行いました。この中で、中小企業というものが改めてクローズアップされ、本格的に中小企業政策を取り上げようということになったわけです。

雇用問題解決に中小企業の力を重視

 その直接のきっかけとなったのは、実は雇用問題でした。ヨーロッパ経済が不振を続ける中でなかなか雇用が増えず、長期失業者が大きな社会問題となりました。各国政府があれこれ策を打ってもなかなか効果が現れない。そこで1つの考え方が注目されました。

 それは、アメリカの若手研究者であったバーチ(Birch)という人が、欧米の統計データを調べたところ、規模の小さい企業ほど雇用を増やし、逆に規模の大きい企業は雇用を減らしており、深刻な失業問題を改善するためには、中小企業の力を重視しなければならない、という議論でした。

市場統合と中小企業

 その後、1986年に単一欧州議定書が締結され、1992年の市場統合の方向を各国が合意しました。そこで、市場統合を新しい経済発展のきっかけとしていくことが課題となり、中小企業がこの市場統合を活かし、逆に、これが中小企業にとってリスクとなることを避けることが政策課題として浮上しました。このように、雇用問題と市場統合をターゲットとするEC・EUの中小企業政策がスタートしたわけです。

 

市場原理の色彩強い政策に限界EC・EU中小企業政策の第一段階(80年代)

市場統合をチャンスとする中小企業政策

 ヨーロッパの中小企業政策の第一段階として、1989年に欧州委員会の中に第23総局が設置され、企業政策、流通、観光、社会的経済を担当しますが、企業政策とは実質的に中小企業政策のことでした。

 この第23総局のもとで、さまざまな政策が次々に実施されますが、この段階では特に市場統合という目標を掲げて、「中小企業の柔軟性の活用」や「中小企業の連携共同の推進」などの重視が打ち出されました。また、市場統合に関する情報提供や事業環境整備、さらに、国境を越えた企業間連携を行い、市場統合をチャンスとする政策が実施されました。

日本の大企業と中小企業の分業体制に関心

 この時期、ヨーロッパなどでは、日本の経験に学ぼうということが盛んに言われていました。

 当時の日本経済のパフォーマンスが良いのはなぜか。調べていくと、大企業と中小企業がうまい形で効率的な分業体制で協力関係を築いており、中小企業の力が強い。ここに注目すべきだと彼らは考えたわけです。ですから、大企業と中小企業の間のサプライヤネットワークづくりも政策テーマとして掲げられました。これは明らかに日本の経験を意識したものです。

 このような形でいろいろな政策が取り組まれましたが、中小企業への期待ばかりでは困るよ、という声があがってきました。中小企業を実際に経営している方々からです。

 「雇用を増やせ」とか、「ヨーロッパの産業を強化しろ」とか、掛け声だけ言われても、自分たちが現実に直面している問題を解決しなければ、期待だけされても困る、ということです。

欧州の中小企業者がまとまって運動

 この段階で、中小企業の立場を代表する議員・委員が欧州議会や経済社会審議会を通じて中小企業が直面している問題について意見書・勧告を出していきます。そして、各国の中小企業者の団体が欧州規模でまとまって運動を起こし、EC・EUの政治・政策に彼らの意見を反映させました。

 何を要求したのか。それは、事業環境問題や金融アクセス(資金調達)問題、科学技術施策などへの参加問題、代金支払遅延問題などです。たとえば、代金支払遅延問題は日本とも共通する政策問題ですが、ヨーロッパで調査したら、支払いが特に悪いのは各国の政府機関だということで、まず政府が率先してやらなければいけないということになった経緯があります。

90年代の経済不振の中で政策見直しへ

 1992年に、市場統合は完成しました。しかし、肝心のヨーロッパ経済は90年代に空前の不振に陥り、失業率も11%になってしまいました。

 しかも、各国間・地域間格差も大きい。たとえば、ドイツとポルトガルの1人当たりGDPの差は、4・8倍ありました。市場統合しても、容易に実態がついて来ない、という状況でした。

 そこで、これまでの中小企業政策は限界がある、という声が強まります。

 たとえば、市場統合を活用しようと、中小企業の連携共同推進政策がとられ、その施策の1つに、BC―Net(企業間連携ネットワーク)というものがありました。しかしこれは、政策評価では失敗であるという結論でした。

 先に挙げたように、中小企業者サイドからも、強い不満や問題解決要求がでてきます。

 80年代後半からの中小企業政策は、雇用対策を別とすれば、市場原理の色彩が強く、「市場が1つになれば競争力が高まる」とか、「競争が競争力を高める」という考え方がとられました。しかし結局は、それだけでは中小企業にとって「何の足しにもならない」という声が強まり、政策の限界が認識されたのです。

 

中小企業の不利改善政策EU中小企業政策の第二段階(90年代)

 このような経過があり、1990年代の半ばから後半にかけての中小企業政策の第二段階では、深刻な雇用問題を解決するためには、中小企業に即効ある対策が必要だということになりました。

 95年の加盟国首脳会議(サミット)に提出された「活力源泉」報告書では、市場メカニズムの不十分さと、中小企業の直面する大きな不利を改善する必要が指摘されました。そのためには、欧州委員会や各国政府の協力によって多面的な中小企業政策を展開をすることが強調されました。

 この第2段階の特徴的な政策の1つに、SMEFacilityというものがあります。日本的に言えば、市中銀行利率よりも2%低い低利融資制度ですが、中小企業が雇用拡大の具体的な投資をするときに融資するものです。

 その他の特徴的な政策としては、信用保証制度の拡充や税制・事業承継問題対策、小規模層・クラフト産業対策、地域問題対策、代金支払い遅延問題などです。代金支払い遅延問題は90年代後半にも大きな問題になりまして、最終的にはEUレベルで強制力のある指令が出され、各国政府は代金支払い遅延問題に対して具体的な法律を制定するか、政策的な手立てを打つことが義務づけられています。

 このような努力が少しは実ったのかどうかわかりませんが、ヨーロッパの関係者は、市場統合の効果が遅れて現れてきたという考え方をしています。ともかく90年代後半にはヨーロッパ経済は復調してきます。しかも、単に雇用状況が回復しただけではなく、アイルランドやフィンランド、スウェーデン、オランダなどの新しい成長モデルが世界的な注目を集めました。

 欧州委員会自体でも機構改革が進められ、2000年に、中小企業政策を担当してきた第23総局が企業総局(DG Enterprise)に統合されました。

 

未来志向的政策の展開へEU中小企業政策の第三段階(21世紀)

 第三段階は21世紀の政策です。それは、これまで打ってきた中小企業政策の効果を確認しながら、今までの現状打開的な政策から未来志向的な政策を展開していこうというものです。

 2000年に策定された「第4次多年度計画(MAP)」は、2001年から2005年までの計画ですが、ここで基本的な政策スタンスが示されています。

 それは、21世紀は知識主導経済であり、この時代におけるイノベーションと持続可能な成長を実現し、Enterprise Europe(企業家のヨーロッパ)をめざすということです。

 そのためには、改めて企業家精神や起業文化、イノベーション成果の事業化などをいっそう強調する。他方で、行政負担の緩和や中小企業支援政策の効果の向上、リスクキャピタルやマイクロクレジットを含む金融円滑化政策などの方向が、かなり具体的に新たに打ち出されました。

(つづく)

このページのトップへ ▲

同友ネットに戻る